刑事事件における示談交渉の心構え|「賠償金の相場」が被害者の宥恕を得る基準とならない理由

1.示談の成否に「絶対的な方法」が存在しない理由

逮捕や警察の捜査を受け、ご自身やご家族が被疑者あるいは被告人という立場に置かれたとき、「なんとか示談をして穏便に済ませたい」と強く願うのは、人としてごく自然な感情です。解決の糸口を探し、確実に示談を成立させるための絶対的な方法やマニュアルを求めてしまうお気持ちもあるかもしれません。しかし、刑事事件には必ず被害に遭われた相手方が存在するため、どれほど加害者側が望んだとしても、確実に示談ができるという絶対的な方法は存在しません。

示談とは、究極的には被害者の方に謝罪を受け入れてもらい、一定の条件の下で納得していただく、あるいは処罰を望まないという宥恕の意思を示していただくという、当事者間の合意を指します。ここで忘れてはならないのは、被害者の方には加害者の事情を理解して納得する義務も、罪を許す義務も一切ないということです。

突然平穏な日常を奪われた被害者の方からすれば、加害者からの接触自体が恐怖や苦痛となることもめずらしくありません。人によっては、誠心誠意の謝罪と十分な賠償によって許しを与えてくださることもありますが、人によっては、加害者が何をしようとも決して許すことはできないという強固な意思を持たれる場合もあります。加害者側は、まずこの「相手にはこちらの提案を拒否する権利がある」という事実を受け止め、自分の都合で結果を急いだり、相手の感情をコントロールしようとしたりする姿勢をとることは、控えなければなりません。

2.裁判所の損害賠償基準を目安とすることの合理性と限界

示談交渉において、賠償金や慰謝料の金額をいくらに設定すべきかということは、常に問題になります。弁護士にとっては、示談金の相場はいくらかと聞かれることは日常茶飯事です。このとき、もし民事裁判に発展した場合に、裁判所がどの程度の損害賠償額を認めるかという基準(民法第709条)は一つの目安になります。不法行為による損害を金銭的に評価し、客観的な基準に基づいて賠償額を算定することは、不当に低額な提示をして被害者をさらに傷つけることを防ぐと同時に、法外な請求に対する指標ともなります。

しかし、裁判所の基準を目安にすることは合理的である一方で、示談交渉という場においては、必ずしも整合的な考え方になり得ないという限界があります。裁判所の算定基準は、あくまで過去の膨大な裁判例に基づいて損害を定型的に評価した数字の集積に過ぎません。これに対して示談交渉は、数字のやり取りにとどまらず、「被害者に許しを乞う」という極めて人間的で感情的なプロセスです。「裁判所の基準がこの金額だから、これを支払えば示談が成立するはずだ」という合理性だけを前面に押し出した姿勢は、被害者の方の目には「お金で解決しようとしている」「痛みをお金で換算して片付けようとしている」と映りかねません。客観的な相場を知ることは大切ですが、それを交渉の場で無遠慮に振りかざすことは、示談の本来の目的である宥恕から遠ざかる結果を招きます。

3.「賠償すれば許される」という思考の落とし穴

加害者側が処罰を恐れるあまり、無意識のうちに陥ってしまうのが「お金を払って弁償するのだから許してもらえるだろう」という思考の落とし穴です。この考えがいかに被害者の感情を逆撫でするか、犯罪とは直接関わりのない日常的な出来事に置き換えて想像してみてください。例えば、あなたが誰かの所有物を誤って完全に破壊してしまったとします。その際、裁判所が認めるであろうその物の現在の価値(時価)を計算し、「時価相当額を支払うから、これで許してもらえますよね」という態度で謝罪に向かったとして、相手は心から納得するでしょうか。

その壊された物は、客観的にはどこにでも売っているありきたりな品物だったとしても、被害者の方にとってはかけがえのない大切な人からの贈り物だったかもしれません。あるいは、苦労して貯めたお金でようやく手に入れた、思い入れの深い品だったかもしれません。百歩譲って特別な思い入れのない個人的な購入品であったとしても、平穏な日常の中で他人にいきなり自分の財産を破壊され、その直後に「弁償するから良いでしょう」と迫られれば、誰しも強い憤りと屈辱を感じるはずです。

お金さえ積めば免罪符になるという態度は、相手の尊厳を二重に踏みにじる行為です。刑事事件においては、財産だけでなく身体や精神への侵害が伴うため、この「賠償したのだから許されるべきだ」という傲慢な態度は、被害者の処罰感情を決定的に悪化させ、交渉の余地を完全に閉ざしてしまう危険性を孕んでいます。

4.被害者の個別事情に対する想像力と謝罪のあり方

真の謝罪とは、被害者の方がどれほどの恐怖を味わい、現在の生活にどのような支障をきたし、どれほど深い悲しみや怒りを抱えているのかを、想像し抜くことから始まります。自分の行為が相手の人生にどのような亀裂を入れたのかを直視し、その痛みに理解しようと努める姿勢がなければ、いかに美辞麗句を並べた謝罪文を書き上げても、相手が理解を示すことはありません。

もちろん、実質的な被害回復を図るためには、謝罪の言葉だけでなく金銭的な賠償を行うことが不可欠です。精神的な苦痛や経済的な損失を抱えたままの被害者に対して、言葉だけの謝罪を繰り返しても、それは無責任な自己満足に過ぎません。お金は生活を立て直しすための現実的な手段として大切です。

しかし、加害者側は「お金を支払う」という行為自体を目的化してはなりません。そういった被害者側の個別具体的な事情や、金銭では決して取り戻せない精神的な平穏を奪ってしまったという事実を深く理解し、その反省の証として賠償を申し出るという順序を違えてはなりません。被害者の境遇を思いやる想像力こそが、示談交渉を支える唯一の基盤となります。

5.結果をコントロールしようとする姿勢を手放し誠意を尽くす意義

自分の犯した罪と向き合い、被害者の方への謝罪と被害回復のために示談を目指すこと自体は、加害者が社会的責任を果たすための正当な歩みであり、決しておかしなことではありません。処罰を軽くしたいという自己防衛の感情があるにせよ、被害に向き合おうとする行動自体は尊重されるべきものです。しかし、その過程において、自分からの謝罪や賠償の提示によって「被害者を宥恕させる」というような、相手の心を自分の力で動かし、結果をコントロールしようとする主導権を持つかのような感覚は、決して持ってはいけません。

示談交渉において加害者にできることは、ただひたすらに自身の非を認め、できる限りの誠意を形にし、賠償の準備を整えることだけです。そして、すべての準備を終えた後は、自分からはいったん手を放し、それを受け入れるかどうかの判断というボールを、完全に相手方である被害者に委ねなければなりません。

許すか許さないか、示談に応じるか応じないかの決定権は、100パーセント被害者の手の中にあります。ボールを渡した結果、厳しい拒絶の言葉が返ってくることもあれば、対話の扉さえ開かれないこともあるでしょう。その結果がどのようなものであれ、加害者はそれを自分の行為の結果として受け止める覚悟が必要です。先が見えない恐怖の中で、結果に対する執着を手放し、ただ相手へのために誠意を尽くすという姿勢こそが、被害者の方に本当の反省を伝えるための唯一の道筋となるはずです。

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