1.警察への匿名照会による被害届受理状況の確認が不可能な理由
相手方から「警察に被害届を出す」「告訴手続きを進める」と告げられたとき、あるいはすでに警察に提出されたのではないかという懸念が生じたとき、捜査の進展状況や被害届の受理の有無をあらかじめ把握したいと考えるのは自然な考え方です。しかし、警察に対して匿名で、あるいは電話口で特定の事案に関する被害届の有無を問い合わせたとしても、捜査機関がその情報を明かすことは原則としてありません。
捜査機関には、進行中の捜査内容や受理した書面の情報を第三者に開示しません。一般に捜査の秘密といわれています。もし仮に被害届の有無を容易に開示してしまえば、加害者とされる側が証拠を隠滅したり、逃亡を企てたり、被害者に対して不当な接触や威迫行為を行ったりする危険性が高まります。また、関係者のプライバシーへの影響も甚大です。
そのため、被害届の有無を確認しようとするならば、必然的に自身の身元を明らかにして、具体的にどのような出来事について確認したいのかという事実関係を警察に伝えなければなりません。この行為は、結果として、自らが特定のトラブルや事件に関与していることを捜査機関に対して申し出る形、すなわち自首やそれに準ずる事情説明の場を設けることと表裏一体の関係にあります。
したがって、身元を伏せた状態で安全に情報を探り出すという方法は実務上存在せず、確認を試みる段階で、自らの関与を警察に認知させるという一定のリスクを引き受ける必要があります。
2.警察への事前相談における説明事項
自身として法律に触れる行為を行ったという明確な認識があり、犯罪が成立していると考える状況であれば、警察に赴いて事実を申し出る行為は自首(刑法第42条第1項)となります。
一方で、自身としては犯罪が成立するとは考えていないものの、相手方から犯罪行為であると糾弾され、被害届や告訴状の提出を予告されているような状況もあります。この場合、警察に対するアプローチは自首ではなく、トラブルに関する事前相談あるいは事情説明ということになります。このような事前相談であっても、警察に対しては自身が認識している客観的な事実関係を説明することが求めされます。
その際には、単に自らの無実を主張するだけでなく、相手方がなぜそれを犯罪であると主張しているのか、相手方の言い分や認識していると思われる事情についても合わせて説明することが重要です。当事者間における事実の認識にどのような齟齬があるのか、あるいは客観的な事実は一致しているものの法律の解釈においてどのような差異が生じているのかを整理して伝えることができれば、警察側の理解もスムーズに進みます。
例えば、金銭の授受を巡って、一方が詐欺や横領を主張し、他方が正当な借入れや報酬であると主張しているような事案では、契約の経緯や返済の意思に関する客観的な状況を詳細に説明することになります。警察としても、双方の主張の対立点が明確になれば、その時点での被害届の提出状況について、差し支えのない範囲で教示してくれる場合があります。ただし、その場で被害届が出ていないと確認できたとしても、それはあくまでその時点の状態に過ぎず、その後において相手方が被害届を提出する可能性を完全に排除できるわけではないという点に留意する必要があります。
3.一方的な言い分による捜査を防ぐ事前相談の意義と受理への影響
通常、警察の捜査は、被害を訴える側の被害届や告訴状(刑事訴訟法第230条、第242条)の提出を端緒として開始されます。この場合、捜査機関はまず被害者側の言い分や提出された証拠に基づいて初期の捜査方針を立てます。加害者とされる側の視点や言い分は一切反映されないまま、事態が進行していくことになります。場合によっては、偏った情報のみに基づいて身柄拘束や家宅捜索などの強制捜査(刑事訴訟法第197条第1項、第218条第1項)が実施される可能性もあります。
そんため、相手方が被害届を提出する前、あるいは警察が本格的な捜査に着手する前の段階で、加害者側とされる立場からあらかじめ事情を相談しておくことには、大きな意義があります。あらかじめ自らの見解を捜査機関に伝えておくことで、被害者側の一方的な供述のみによって捜査が硬直化することを防ぐ効果が期待できます。
加害者とされる側による事情説明が、単なる感情的な弁明にとどまらず、具体的な時系列の整理や、客観的な資料、例えば通信履歴や電子メール、契約書、第三者の目撃証言といった証拠に基づいたものであれば、捜査機関の姿勢に影響を与えることが可能です。
警察としても、事前に合理的な反論とそれを裏付ける資料が提示されていれば、被害者側の主張に虚偽や誇張が含まれている可能性、あるいは民事上の紛争に過ぎない可能性を考慮せざるを得なくなります。結果として、捜査機関が被害届の受理そのものを慎重に検討したり、告訴状の受理を一時的に躊躇したりする可能性が生じます。また、仮に捜査が開始されることになったとしても、あらかじめ言い分を提出していることで、急激な逮捕などの身柄拘束を避け、在宅での任意の取調べという形で捜査が進められる可能性を高めることにつながります。
4.自己の相談が捜査の端緒となるリスクと事前の精査の必要性
警察への事前相談は、一方的な捜査を防ぐための有効な手段となり得る一方で、極めて重大なリスクも内包しています。最大の懸念点は、犯罪が成立していないと自ら信じて相談したにもかかわらず、その説明を聴取した警察官が、刑事罰に値する犯罪行為が成立していると判断した場合です。
この状況においては、自ら行った相談そのものが、警察にとって新しい犯罪の存在を知る捜査の端緒へと変貌してしまいます。つまり、相手方が被害届を出すかどうか迷っている段階、あるいは警察がまだ事件を認識していない段階であったとしても、自らの行動によって強制的に刑事事件化を惹起してしまう結果になりかねません。しかも、自首は成立しません。
単なる事実関係の見落としや誤解であれば、客観的な資料を提示することで誤りを正すことは比較的容易ですが、問題が法律の解釈や、複雑な主観的要件の認定に及ぶ場合は慎重な判断が必要です。
例えば、故意の有無、不法領得の意思の有無、あるいは業務上過失致死傷罪における予見可能性や回避可能性の有無などは、専門的な法解釈や過去の判例の蓄積に照らして初めて結論が導き出される性質のものです。一般の当事者が「これくらいは犯罪にならないだろう」と主観的に判断して警察に説明した内容が、法的な要件を完全に満たす自白として扱われてしまう事態は十分に起こり得ます。
したがって、警察への相談を実行に移す前には、自身の行為が本当に犯罪として成立していないのか、法律論や過去の先例、具体的な事実認定の枠組みを慎重に調査し、自らの見解について確証を得ておく必要があります。事前の精査を欠いたまま不用意に捜査機関と接触することは、取り返しのつかない不利益を招く恐れがあります。
5.事件直後における自主的説明の信頼性
もし、事前の厳密な検討を経て、自身の行為に違法性がなく、相手方の主張が不当であるという確たる見通しが立った場合、トラブルの発生から間もない時期に自主的に警察へ説明を行うことは、捜査機関からの信頼性を高める上で有利に働く可能性があります。
事件が発生してから長期間が経過した後に、警察からの呼び出しを受けて初めて行う弁明は、事後的に作り出された言い訳や責任逃れの供述とみられる恐れがあります。これに対して、まだ捜査機関から何らの追及も受けていない段階、あるいは事件の直後というタイミングで自ら進んで事実関係を明らかにし、客観的な証拠を提出する姿勢は、自らの主張に対する強い自信の表れとして受け止められやすい傾向があります。
また、自ら進んで情報を開示しているという事実は、将来的に万が一刑事事件化した場合であっても、刑事訴訟法上の身柄拘束の要件である逃亡の恐れや罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由(刑事訴訟法第60条第1項)を否定するための強力な事実となります。
事態の帰趨に強い不安を覚え、相手方からの脅迫的な文言に直面しながら日々を過ごすことは、精神的な負担が大きいです。警察への事前相談という選択肢は、単に被害届の有無を探索するというだけでなく、刑事手続が開始される前の段階で自己の防御権を最大化するための能動的な初期対応であり、重要な選択肢といえます。
