1.刑事事件の示談書に記載する処罰感情の種類
刑事事件において、示談書に含める内容は、金銭の授受や民事上の損害賠償が成立したという事実だけではありません。刑事手続の文脈においては、不法行為によって傷つけられた被害者の権利がどの程度回復し、加害者に対してどのような「処罰感情」を抱いているのかを明らかにするという側面も持っています。実務上、示談書に記載される処罰感情の表現は一様ではなく、当事者間の合意の度合い内容により異なります。
加害者側としては、自らの身柄拘束を解き、あるいは前科がつく事態を回避するために、できる限り自らを許す内容の文言を示談書に盛り込みたいと希望するのが通常です。しかし、被害者が、加害者側の都合に合わせる義務はどこにもありません。
示談書における処罰感情の記載については、大きく分けて三つの選択肢があります、これらを正しく理解し、自らの現在の心情に最も合致する表現を選択することになります。書面に記載するということは、一定の意味を帯びますから、納得した内容で作成すべきです。
2.三段階の処罰感情
(1) 完全な許しを意味する「宥恕」
第一の選択肢は、加害者の犯した罪や過ちを寛大な心で許すことを公式に表明する「宥恕(ゆうじょ)」のです。具体的な文言としては、被害者は加害者を宥恕する、あるいは本件に関し加害者の刑事処罰を望まない、といった表現が示談書に盛り込まれることになります。
宥恕という言葉は、日常会話ではほとんど使用されない用語ですが、刑事手続においては、被害者の最大限の寛大な意思表示として一般的に利用されております。
示談書に完全な宥恕文言が記載されている場合、器物損壊罪や名誉毀損罪のような親告罪であれば、告訴の取消し(刑事訴訟法第237条第1項)を伴うことで、起訴されることはなくなります。
また、傷害罪や窃盗罪といった非親告罪であっても、被害者が加害者を許しているという事実は、検察官に対して「あえて国家が強制力をもって刑事罰を科す必要性は失われた」と判断させる強力な事情となり、起訴猶予による不起訴処分をおこなう方向への影響が大きい事情となります。
「甲は、乙を宥恕する。」
「甲は、乙を宥恕し、刑事処罰を求めない。」
(2) 許すとは明言できない「捜査機関の判断に委ねる」
第二の選択肢は、加害者から生じた実害に対する弁償や謝罪の意思は受け取るものの、心理的に相手の罪を許す段階には至っていない場合に用いられる、処罰の可否を国家の裁量に一任する表現です。実務においては、本件に関する加害者の処罰については検察官及び裁判官の適切な判断に委ねる、あるいは法に則った適正な処分を求める、といった文言で示談書に記載されることになります。
この手法は、民事上の損害賠償義務の履行(民法第415条など)という経済的な解決と、刑事上の処罰感情を切り離すための方策といえます。また、被疑者の処罰について言明するということは、被害者にとっても精神的な負担となり、それを避けることができます。さらに、社会的に被害者が処罰されるべきかの判断ができないため、積極的に公的機関に判断をゆだねるという判断がされることもあります。
この「判断を委ねる」という文言が記載された示談書は、金銭的な被害回復がなされたという点については加害者に有利な情状として評価されますが、被害者の処罰感情そのものは消滅していない、すなわち「宥恕は得られていない」というものとして扱われます。
したがって、宥恕がないという面からは、犯行態様の悪質さや前科の有無によっては、略式起訴による罰金刑(刑事訴訟法第461条)や、正式な裁判(公判請求)への移行という判断が下される可能性があります。ただ、財産犯など、被害者の損害回復が重視される場合は、宥恕に近い評価となることもあります。
「検察官及び裁判官の判断に委ねる。」
「検察官の適正な処分を求める。」
(3) 金銭の受領と処罰要望を両立させる「厳罰を求める」
第三の選択肢は、加害者側から提示された金銭的な賠償は受領しつつも、刑事手続においては国家による処罰を要望する意思を明記する表現です。具体的には、被害者は加害者に対して厳罰を求める、あるいはしかるべき刑事処罰が下されることを要望する、という強い文言を記載します。
日本の刑事手続の大部分を占める非親告罪においては、被害者が金銭を受領したからといって、国家の有する公訴権(刑事訴訟法第247条)が自動的に消滅することはありません。被害者が「厳罰を求める」という意思を示談書に明記して提出した場合、検察官や裁判官に対して、被害者の被害感情や処罰感情は、依然として和らいでいないと理解します。
被害者において、加害者に相応の社会的制裁を受けてもらわなければ精神的な平穏を取り戻せないが、同時に生じた経済的実害についても加害者の負担において補填させたいという、権利の完全な行使を目指す場合ということになります。
ただし、このような場合においては、加害者として弁償を行うことに躊躇するという可能性も出てくることは、理解しておく必要があります。
「厳罰を求める。」
「適切な処罰を求める。」
3.被害感情を曖昧にしないための書面作成時における初期対応の指針
示談交渉は、加害者本人やその代理人である弁護士から持ち掛けられることが多いでしょう。その際には、加害者側から、示談書が用意されていることもあります。ただ、示談書は双方の合意内容を記載するものですから、一方が用意した示談書を受け入れなければならない義務はありません。
被害者としては、自分自身が事件についてどのように考えているのか、落ち着いて考える必要があります。そして、納得できる形で、示談書や合意書を作成する、あるいは作成を拒否することになります。大切なことは、形式的に書面を作成することではなく、実態に即した書面が作成されることです。
ただ、もし加害者の処罰に深い関心が持てなかったり、判断がつかないという場合には、加害者側の意向を酌んで、加害者側の要望を受け入れたり、あるいは検察官に委ねるといった内容で作成することも、合理的な対応となります。
