法的な責任の限界と道義的な誠意|損害賠償義務が認められない事案における謝罪の意義

1.損害賠償義務が認められない事案における謝罪の意義

法律には、すべての事象を規律する万能性は、必ずしもありません。法律は、最終的に裁判所が紛争の解決を図るための基準として機能します。不法行為に基づく損害賠償請求(民法第709条)が法的に認められるためには、行為者の故意または過失、他人の権利や法律上保護される利益の侵害(違法性)、現実に発生した損害、そして行為と損害との間の相当因果関係といった要件を全て満たす必要があります。これらの要件のいずれかが欠けている場合、不法行為は成立しません。そのため、損害賠償の支払い義務は生じません。

しかしながら、私たちの日常における人間関係や感情の動きは、法的な理屈だけで割り切れるものではありません。たとえば、法的に慰謝料請求の対象となる不貞行為には至っていないものの、既婚者と親密な交流を持ってしまい相手方の配偶者を傷つけてしまうことはあります。また、予期せぬ不可抗力によって他人に損害を与え、相当因果関係は否定される状況であっても、「自分が別の行動をとっていれば」という事実上の条件関係が存在することに後ろめたさを覚えることもあるでしょう。

このような状況において、法的な義務は生じていません。しかし、人として謝罪の意を伝えたい、あるいは何らかの弁償を申し出たいと考えることは、道義的に何ら不自然ではありません。むしろ、法律の枠組みに収まらない自らの行為に対して真摯に向き合おうとする姿勢の表れとも言えます。

2.自己満足の謝罪に陥らないための配慮

ただし、謝罪や弁償の申し出を行うにあたっては、それが相手方の感情にどのような影響を及ぼすかを見極める必要があります。自身の行為に非があったと感じて謝罪を望む側は、「誠心誠意謝ることは良いことだ。相手の負担になることはあり得ない」と思い込むことがあります。しかし、被害感情や悲しみを抱いている相手方の立場からすれば、加害的な立場にある人物からの接触そのものが、精神的苦痛を呼び起こす原因となり得ます。

相手方が対話を拒絶し、静かな生活を望んでいるにもかかわらず、「どうしても謝罪したい」と執拗に面会を求めたり、一方的に手紙を送りつけたりする行為は、相手方の平穏を害するものです。相手が受け入れないのであれば、潔く身を引くという決断が、相手に対する配慮として不可欠です。相手の意向を無視して謝罪を強行しようとする態度は、もはや相手の痛みを癒すためのものではありません。それは、自分自身の罪悪感を和らげ、安心や満足を得るための身勝手な振る舞いになっています。

弁償として金銭を渡そうとする行為も同様です。金銭の授受は、相手方がその趣旨を理解し、納得して受け入れて初めて意味を持ちます。相手方の了承を得ずに一方的に金銭を押し付けるようとすれば、相手にとっては不気味で不快な金銭となってしまします。それは謝罪に伴う行為にはならず、相手方の反発や警戒心を招く結果に終わります。

3.賠償額の基準が存在しないことによる協議の難航

相手方が対話のテーブルにつき、一定の金銭的な補償を受け入れる姿勢を見せたとしても、その後の協議が円滑に進むとは限りません。一般的な法的トラブル、たとえば不法行為の要件を満たす交通事故や不貞行為の事案であれば、過去の裁判例に基づき、ある程度損害賠償額の予測が可能です。当事者間の交渉においても、裁判となった場合に認められるであろう見込み額がひとつの指標として機能します。訴訟にかかる時間や費用、精神的な負担を考慮しながら、双方が和解の妥協点を探ることが可能です。

しかし、そもそも法的な損害賠償義務が認められない事案においては、頼るべき基準が存在しません。法的義務がない中で支払われる金銭は、道義的な見舞金や解決金といった性質を持ちます。しかし、その金額をいくらに設定すべきかということに、一応の正解さえないのです。基準が存在しないため、支払う側は「法的な義務はないのだから、これくらいの誠意を示せば十分だろう」と考えやすいです。他方で、受け取る側は自らが被った精神的苦痛に見合う金額として、相当な高額を思い描くことがあります。この認識のズレが、協議の場において埋めがたい溝となり、合意の形成を極めて困難なものにします。

4.相手方から過大な要求を受けた場合の対応

客観的な基準が存在しない状況での協議においては、支払う側が当初想定した金額をはるかに上回る要求を相手方から突きつけられる事態は起こりえます。法的な支払義務がない以上、そのような過大な要求に対してそのまま応じる必要はありません。しかしながら、対話を継続して何らかの合意を目指すのであれば、双方の考えをすり合わせていく努力が求められます。

この過程は、基準がないがために、互いの感情や認識が裸でぶつかり合うことになります。相手方の怒りや悲しみに耳を傾け、その苦痛を理解しようとする姿勢を示しつつも、自身が現実的に拠出できる限度額との間で、どこに折り合いをつけるか探らなければなりません。

いくら言葉を尽くして歩み寄りを図っても合意に至らず、協議が決裂して終わることもあり得ます。法的な紛争であれば、協議が決裂しても最終的には訴訟という手段によって裁判所に結論を出してもらうことができます。

しかし、法的な義務がない事案において協議が決裂した場合、裁判所に強制的な解決を委ねることはできません。そのため、自らの意思で事実上の紛争化をしたものの、根本的な解決を見ないまま話合いが決裂することになりかなません。このような不安定で先行きの見えない状況に耐え、どこまで相手との終わりの見えない対話を試みるかという、難しい判断が生じてしまうのです。

5.行動を起こす前に問うべき自身の覚悟

法的な義務がない状況であえて謝罪や弁償を申し出るという行為は、このように、想定以上の困難と精神的な負担を伴います。だからこそ、相手方に対して行動を起こす前に、自分自身の内にどれほどの真摯な覚悟があるのかを問い直す必要があるのです。

自ら「謝罪したい」「弁償したい」と申し出ながら、相手方の反応が予想以上に厳しかったり、要求される金額が想定を超えていたりしたという理由で、安易にその申し出を撤回し、態度を翻すようなことは慎むべきです。一度相手方に期待を持たせ、過去の出来事を蒸し返して相手の感情を揺さぶっておきながら、最終的に「法的な義務がないので何も払いません」と突き放すのは、無責任というほかありません。

それは相手を徒労させ、さらに深く傷つけるだけの結果を招きます。当初の「謝罪したい」という道義的な気持ちとは完全に矛盾する行為です。法的な支払い義務が生じない可能性が高いからこそ、一度相手に対して示した誠意や提示した姿勢については、最後まで維持しようとする道理が求められます。

自身の抱える後ろめたさを解消したいという一時の感傷だけで動くべきではありません。相手方からの厳しい追及や長引く協議といったあらゆる困難を引き受ける覚悟を持てるのか否かです。最初の段階で、冷静に立ち止まり、自身の内面と向き合う時間が不可欠です。