1. 反省文は必須ではないが、刑事弁護における重要なツールである
刑事事件の被疑者・被告人となった方から、「反省文を書いた方がいいか」と聞かれることがよくあります。世間一般では、罪を犯したならば反省文や謝罪文を書くのが当たり前であり、書かなければ反省していないとみなされる、という圧力があるように思います。もしかすると、学校教育の影響もあるかもしれません。
しかし、反省文や謝罪文は法律上必須の書類ではありません。他者から求められて書くものでもありませんし、反省や謝罪は強制されるものでもありません。
そうとはいえ、実務的には「必須ではないが、書いて悪いことはない」というのもまた事実です。なぜなら、刑事手続きにおいて、被疑者・被告人の内心にある反省の情を、検察官や裁判官という第三者に可視化して伝える手段は極めて限られているからです。法廷での発言や取調べでの供述だけでは、時間の制約もあり、深い内省のすべてを伝えきることは困難です。
2. 被害者宛てと検察官宛て:それぞれの目的と機能の違い
反省文と一口に言っても、その提出先によって意味合いは大きく異なります。主に「被害者宛」のものと、「検察官(および裁判所)宛」のものに分けられます。
被害者宛ての反省文、すなわち謝罪文は、被害感情の宥恕を求め、示談交渉を円滑に進めるための「道具」としての側面を持ちます。刑事弁護において示談の成立は、不起訴処分や執行猶予判決を得るために極めて重要な要素を占めています。被害者に対して、加害者が真摯に向き合い、二度と危害を加えないことを誓約し、その証しとして謝罪文を差し入れる。この手続きが、被害者の処罰感情を和らげることにつながる可能性がります。
他方で、検察官宛ての反省文はどのような機能があるか。こちらは、被疑者が自身の罪を認め、社会復帰に向けた準備ができていることを伝えるためのものです。しかし、単に「申し訳ありませんでした」「二度としません」と書くだけの反省文を提出したところで、検察官に対してはほぼ意味がありません。検察官にとって、言葉だけの反省は、ほぼ考慮するに値しないものと言わざるを得ません。
基本的に、反省文それ単体では、法的な効果はほとんどありません。それが意味を持つのは、そこに具体的な行動が伴っている場合、あるいは被害者との交渉の切っ掛けという過渡的な役割を果たす場合においてのみです。
3. 「口先だけ」は意味を持たない:検察官が重視する評価ポイント
検察官は反省文を重視しませんが、提出してはいけないわけではありません。反省文に限らず、取調べの態度についても当てはまりますが、検察官は表面的な言葉にそれほど関心がないといえます。問われているのは、その中にある事実です。
検察官宛ての反省文において、その表現方法についても、気にする必要はありません。大切なことは、何を伝えるために書いているのかです。情動的な表現や、レトリックに富んだ表現は不要です。また、極論としては、反省しているという言葉さえ不要です。書くべきことがあるとすれば、現実に何を考えているかの一点です。
基本的には取調べでやりとりがありますから、その場で自身の口から説明する方が、反省文で伝えるよりも望ましいです。しかし、取調べは特殊な空間ですし、被疑者・被告人が自由に発言する雰囲気でもありません。検察官が調べるという構図になります。そのため、取調べでは十分に話せなかった内容を伝えるために、反省文を作成することは意味があります。そして、具体的に考えていることを言葉にするのです。
検察官は「反省しているから許す」のではありません。「再犯の恐れがないから起訴猶予にする」あるいは「更生が期待できるから、処分で考慮する」という判断をします。したがって、感情的な気持ちではなく、具体的な再犯防止策など、客観的に検討に値する内容であることが不可欠です。
4. 最も重要な機能は「内省の深化」と「再犯防止策への昇華」
反省文を書くことの最大の意義は、提出して誰かに読ませることにはないと考えます。被疑者・被告人本人が、現実に白い紙に向き合うその時間そのものに価値があります。
「なぜ、自分はあんなことをしたのか」 「被害者は、その瞬間どんな恐怖を感じたのか」「あの時、何があれば踏みとどまれたのか」。これらを自らに問い、自らの言葉で表現することが、次の行動につながります。
「悪いことをした」と言う方は多いですが、「なぜそれが悪いことなのか」と聞き返すと、答えられない方は多いです。そこを考えていくことで、自身の行った行為の意味について、自身の言葉で紡ぎ出していくことができるはずです。
事件を客観的に見つめ直し、自分の思考の癖を分析し、それを具体的な再犯防止策へと昇華させる。そのための手法として、反省文は極めて有効です。例えば、痴漢事件であれば、単に「欲求に負けた」で済ませるのではなく、「どのようなストレス状況下で衝動が高まるのか」「通勤電車という環境自体を変えることはできないか」「どうすれば欲望に勝てるのか」といったレベルまで掘り下げて考える。その思考の痕跡が記された反省文は、本人の更生への強い意志を示す何よりの証拠となります。
5. 弁護士が代筆した文章は、被害者にも検察官にも伝わってしまう
被疑者・被告人から「書き方がわからないので、下書きを書いてほしい」「文例がほしい」と頼まれることがあります。しかし、反省文は、そういうものでないと考えています。
なぜなら、弁護士が書いた文章は、それがどれほど巧みな表現であっても、読む人にはなぜかすぐに伝わってしまいます。法的な整合性が取れすぎていたり、使われる語彙が日常的でなかったり、あるいは文章の構成が整いすぎていたりする反省文は、被害者の目には「弁護士が書いたのだろう」と受け止められます。被疑者・被告人が懸命に書いた反省文であっても、反省文を読んだ被害者から、「本人は実際はどう考えているのですか」と聞かれることも多いです。他人が下書きを書いたり、文例を参考にすれば、なおのことです。そうなれば、謝罪の誠意が伝えるどころか、「反省文を書けばいいと思っているのか」という悪感情を抱かせることにもなりかねません。
「内容についてどう書けばいいか」と問われることもありますが、その「どう書くか」を考えること自体が、反省のプロセスそのものです。そこを他者に委ねてしまった時点で、その反省文は意味がありません。自分で悩み、考え抜くことこそが大切なのです。
6. それでも「書けない」人がいるという現実への対応
一方で、現実問題として、文章を書くことが極端に苦手な方や、自分の気持ちを言語化することに慣れていない方がいることも事実です。そのような方に対し、「自分で書くように」と伝えても、結局書くことができなかったり、それこそありがちな内容をなぞったものになりがちです。
そうした場合、反省文を書くことは目的にする必要はありません。反省文を書こうとして、考えたことを表現すればよいのです。弁護士としては、反省文という形式にこだわりはありません。被疑者・被告人が考えた内容であれば、それの活かし方は反省文以外にもあるのです。本人の口から出た言葉であれば、形式は関係ありません。伝え方は、反省文に限られません。
それでも、どうしても反省文を書きたいという方もいます。その場合は、最低限書くべきこと(事実の認否、被害者への謝罪、再犯防止)は伝えつつも、その人なりの表現で、その人の今の考えている内容をとにかく言葉にするということが、唯一の方法だと思います。
そもそも、被害者も検察官も、被疑者・被告人の反省文について、特段読みたいとも思っていないということから、理解しなければなりません。とりあえず反省文を書けばいいという考えだけは、忘れてもらいたいと思います。
