1.公然わいせつ罪の基本性質と「被害者」の存在
公然わいせつ罪(刑法174条)は、刑法において社会全体の風紀や健全な性道徳という「公共」に対する罪として位置づけられています。殺人罪や傷害罪、あるいは窃盗罪のように特定の個人の生命、身体、財産を直接的に侵害する犯罪とは異なり、公然わいせつ罪には法的な意味での明確な「被害者」が存在しません。法律の制度上、被害者が想定されていないということは、特定の被害者に対する示談交渉や謝罪といった対応そのものが直接的には予定されていないことを意味します。
しかしながら、現実の刑事事件としての公然わいせつ事案においては、その行為を実際に目撃し、不快感を抱いて警察に通報した人が存在します。警察による捜査や犯罪が発覚する端緒の多くは、この目撃者による通報によるものです。公然わいせつという行為自体は社会の風俗に対する罪であったとしても、その特定の事件の構図を詳細に紐解けば、突発的にわいせつな行為を見せつけられ、強い嫌悪感や精神的な動揺、あるいは恐怖心を抱いた目撃者がおり、状況によってはその人が実質的な被害者としての側面を強く持つことになります。
したがって、法律上の直接の被害者がいないからといって、「誰の権利も侵害していない」「誰も直接的に傷つけていない」と安易に考えることはできません。実際の刑事手続きや事件対応においては、この「実質的被害者」とも言える目撃者の存在と、その処罰感情をどのように捉え、どのように向き合っていくかが極めて重要な要素となります。行為に対する反省を示す対象は社会全体であるとともに、目の前で不快な思いをした特定の個人でもあるという認識を持つことが、事件の適切な把握になります。
2.自動車内におけるわいせつ行為の発覚と目撃者に対する示談の必要性
公然わいせつ罪に関して比較的多くのご相談が寄せられる事例の一つとして、停車中の自動車の中で自慰行為などに及んでしまうケースが挙げられます。自動車の車内というのは、ドアや窓を閉め切ることで外部の音や空気が遮断され、一見すると隔離された自分だけのプライベートな空間であるかのように錯覚しやすい環境です。そのため、つい気の緩みから、他人の目は届かないだろうと安易に思い込み、わいせつな行為を行ってしまう方が少なくありません。
しかし、自動車は当然ながら運転のための視界を確保するべく、四方を窓ガラスに囲まれており、外部から内部を視認することが十分に可能な構造となっています。誰もが常に他人の車内をのぞき込んでいるわけではありませんが、通行人がふと視線を向けた際や、隣に駐車した自動車の運転手が何気なく目をやった際、あるいは夜間のパトロール中に車内を照らした際に、その行為が目撃されることで犯罪が発覚するという構図があり得ます。
このようなケースでは、行為者自身には「誰かに見せつけてやろう」という不特定多数に対する積極的なアピールの意図がなかったとしても、刑法上の「公然と」という要件、すなわち不特定または多数の者が認識し得る状態であったと客観的に判断される可能性が高くなります。そして、現実として目撃者がいる以上、その目撃者は特定の事件における実質的な被害者と言わざるを得ません。特定の目撃者が不快な思いをしたという事実関係を重く見れば、その被害者に謝罪などを行うことは、道義的に当然求められることになります。
3.自室での行為におけるプライバシーと公然性
自動車内での事案と同じく、公然わいせつ罪の成立が問題となるものとして、「自分の部屋の中で裸になっていたところ、外から見られてしまったかもしれない」というものがあります。これも、窓ガラスという透明な境界線を隔てて外部から視認されるという物理的な状況だけを切り取って見れば、前述の自動車内のケースと似ているように感じられるかもしれません。しかし、この二つのケースにおいて決定的に異なるのは、行為が行われている場所が本来有しているプライバシーの保護の強度です。
住宅の自室という空間は、基本的には外部からの干渉を受けない私的空間です。人間は自室のなかでどのように過ごそうと原則として自由であり、衣服を着ずに裸でくつろいで過ごす自由も当然に認められます。 そのため、一般的な日常生活を営んでいる中で、たまたま着替えや入浴後などで裸になっていたところを、他人が意図的にのぞき込んだような場合であれば、非難されるべきは室内で生活を営んでいた者ではなく、むしろ他人のプライベート空間をあえてのぞき込んだ側の人間です。この場合、のぞき込んだ行為自体が軽犯罪法違反などに問われる可能性すらあります。
自室でくつろいでいる状態が、直ちに公然わいせつ罪における「不特定または多数の者が認識し得る状態」である「公然と」の要件を満たすわけではなく、また刑法が罰する「わいせつな行為」に該当するわけでもありません。原則に立ち返れば、自室というプライバシーが保障された空間での行為は、ことさらに意欲して外部に見せつけたような場合でなければ、刑法上の処罰対象にはなりません。
4.現代社会の住環境における刑罰リスクと近隣への適切な配慮
前述のとおり、自室内の行為は原則として個人の自由ですが、現代社会の住環境や近隣関係において、昔ながらのおおらかさや寛容さを社会に求めるのは次第に難しくなってきているかもしれません。特に建物の密集化が進む都市部などでは、他人の生活空間や公共の道路が、物理的に極めて近い距離に存在しています。 たとえば、道路に面した1階の部屋や、向かいのマンションから丸見えになる位置にある部屋において、窓にカーテンやブラインドを一切設置しておらず、夜間に部屋の電気をつけた状態で窓際に立てば、外の道路や向かいの建物から、室内がまるでライトアップされた舞台のように容易に見通せてしまう状態になり得ます。
このような、外から極めて容易に視認できる状態であることを認識しながら、それを漫然と放置したまま日常的に裸で過ごしたり、さらには性的な行為に及んだりした場合、「ここは自分の部屋だから自由だ」「のぞき込んだ側が悪い」という理屈だけでは法的に済まされなくなります。不特定または多数の者が容易に認識できる状態を自らの意思で作り出している、あるいはその状態を容認していると客観的に評価されれば、たとえそこが自室内であったとしても、刑法上の公然わいせつ罪の成立が問題とされるリスクが十分に生じます。
他方で、自身としては部屋の中で通常どおりに生活していただけにもかかわらず、たまたま偶然が重なって外部から目撃された場合など、目撃者が「たまたま見えてしまった申し訳ない」と思うのではなく、「見えるようなところでけしからん」と思ってしまう可能性もあります。目撃者の認識と刑事事件化するかは別の問題ですが、部屋の中だからといって自由だけを主張するだけではなく、カーテンやブラインドを意識的に確認するなど、意識的な予防策が求められているのかもしれません。
5.事実関係の客観的分析
公然わいせつ罪が最終的に成立するかどうか、そして成立した場合にどのような刑事処分が下されるかは、決して抽象的な法律論だけで決まるものではありません。事件が発生した場所の具体的な性質、時間帯、周囲の明るさや照明の状況、外部からの視認性の高さ、目撃者の有無と目撃地点からの距離、さらには行為者の意図など、無数の事実関係によって大きく結論が左右されます。
車内での行為であれば、駐車していた場所が人通りの多い駐車場だったのか、それとも深夜の全く人けのない道だったのかによって、「公然性」の評価は変わってきます。自室での行為であっても、窓の構造、カーテンの開閉状況、目撃者がどこからどのような角度で見ていたのかという客観的な証拠関係が、犯罪成立の成否を分ける要素となります。
また、実質的な被害者と言える目撃者がいる場合、示談交渉を進めるにしても、相手方の処罰感情の強さや、捜査機関が連絡先の開示に協力的かどうかによって、取り得る対応策は変化します。目撃者が強い精神的ショックを受けており、連絡先の開示を頑なに拒んでいるような場合には、示談という手段そのものが非常に困難なものとなります。このように、公然わいせつ罪をめぐるトラブルは、事案ごとに異なる具体的な事実関係と証拠を冷静かつ客観的に分析することが不可欠です。警察の捜査段階から、現場の状況を正確に把握し、証拠に基づいた客観的な主張を展開すること、そして必要に応じて実質的被害者への適切な対応を行うことが求められます。
