1.初回クーポンを別名義で複数回利用する行為と電子計算機使用詐欺罪
スマートフォンアプリやウェブサービスにおいて、新規会員登録者を対象とした初回限定クーポンや無料特典が提供される機会は多く存在します。こうした特典を再度獲得することを目的として、同一人物が異なる氏名、住所、電話番号、メールアドレス、クレジットカード情報などを入力し、複数のアカウントを作成してサービスを利用する行為があります。
一見すると、画面上の操作のみで完結する簡易な行為に思えるかもしれませんが、法的には重大な犯罪の構成要件を満たすことになります。人に対する欺罔行為を伴う通常の詐欺(刑法第246条第1項)とは異なり、電子計算機(コンピュータ)に虚偽の情報や不実の命令を与えて不当な財産的利益を得る行為は、電子計算機使用詐欺罪(刑法第246条の2)が成立します。この罪の法定刑は10年以下の拘禁刑であり、通常の詐欺罪と同等の刑罰が定められています。
事業者が設けているアカウント重複チェックは、氏名や住所の表記揺れ、同姓同名の存在、同一世帯内における複数人の居住などを考慮し、一定の許容範囲を設定していることがあります。しかし、そのシステムの隙を突き、本来であれば獲得できないはずの初回特典を意図的に取得する行為は、不当な利益を得たものといえます。得られた利益が数百円程度の割引クーポンや少額のポイントであっても、成立する罪名や罪責の重さに変わりはありません。初回利用ではない事実を隠し、虚偽の属性情報を入力して特典を受け取る行為は、明らかな犯罪行為となります。
2.システム上の証拠管理と虚偽情報入力における故意の立証
不正なアカウント作成を行った当事者は、インターネット上の匿名性や、入力した情報が架空のものであることから発覚しないのではないかと楽観的に捉えているものと思われます。しかし、運営会社は、ユーザーのアクセスログ、IPアドレス、使用端末の識別番号、決済に使用されたクレジットカードの口座情報、あるいは商品の配送先住所など、多角的なデータを管理しています。
したがって、運営会社側には客観的な証拠が完璧に蓄積されている状態にあります。裁判手続きや捜査手続きにおいて、詐欺事件の故意や不法領得の意思を立証することは一般に高度な主張立証を伴うことが多いです。しかし、電子計算機使用詐欺の事案においては、不実の情報を入力したログと、実際の利用者が同一人物であるという事実の紐付けが完了した段階で、初回利用でないことを認識しながら虚偽入力を行ったという犯罪の故意が極めて高い精度で推認されます。
ばれないだろうという予測や、軽い気持ちであったという言い訳は、客観的証拠の前では法的な防御としては言い訳になりません。
3.少額の被害であっても警察へ被害申告がなされる背景
被害額が個別に見れば少額であるため、運営会社がわざわざ警察へ被害申告や告訴を行わないであろうと安易に考えることは大きな誤りです。確かに、すべての規約違反や不当利用に対して個別に法的手続きをとることは、運営会社の費用対効果の観点から現実的ではありません。
しかし、初回特典の複数回利用が横行することは、サービスを提供する運営会社にとって収益構造を直接的に圧迫する重大な経営リスクとなります。そのため、不正利用の拡大を防止するための警戒としての意味合いや、自社システムの健全性を証明する目的から、特定の悪質な事案や定期的な抽出によって警察への被害届提出や告訴に踏み切る企業は少なくありません。
捜査機関が事業者からの被害申告を受理した場合、刑事事件として捜査が開始されます。警察は、運営会社から提供された情報に基づき、関係者への捜査照会や裁判所の発付する令状に基づく証拠収集などにより、裏付けを行っていきます。これにより、匿名で作成されたアカウントであっても、最終的に実際の利用者の氏名や居住地が特定されることになります。
画面上の操作という極めて個人的な空間で行われた行為であっても、ひとたび捜査の対象となれば、法律に基づく刑事手続きへと発展していくことになります。
4.被害弁償の難しさと相手方の処罰感情
自身の行為が警察の捜査対象になっていることを知った際や、将来的な刑事処罰の可能性に直面した際、運営会社へ不正取得したクーポン相当額を返金すれば事態が収束すると考えるかもしれません。しかし、被害企業が求めているものは単なる少額の弁償金ではありません。
運営会社が重視しているのは、自社のセキュリティシステムを迂回し、虚偽情報を用いてサービスを不正に利用されるという事実そのものの排除です。そのため、弁償金の支払いを提案しても、運営会社が示談交渉に応じず、弁償金の受領を拒否したうえで、厳正な処罰を求める意思を捜査機関に表明し続ける可能性があります。
また、この種の犯罪において再発防止策を客観的に示すことは簡単ではありません。現代社会において、スマートフォンやパソコンを完全に所持しない生活を送ることや、クレジットカード等の決済手段をすべて解約することは現実的ではなく、単に反省の弁を述べるだけでは再発防止の姿勢として十分であると評価されにくい側面があります。
5.捜査に対応する姿勢
電子計算機使用詐欺の嫌疑をかけられ、捜査機関による差押えや取調べの可能性が生じた場合、動転して不適切な行動をとることは事態を悪化させます。特に注意すべきなのは、スマートフォン内のアプリやアカウントの削除、端末の初期化、あるいは使用したクレジットカードの解約といった証拠の破棄を試みる行為です。
客観的な通信データやサーバー上のログは事業者のシステムにすでに保存されているため、手元の端末から情報を消去しても効果はありません。
アカウントやアプリを削除することは、これ以上、詐欺をしないためだとの考え方もあるかもしれません。しかし、客観的に評価すれば、証拠の隠滅や既に終わったこととして考えているなど、消極的な評価をされることを覚悟しなければなりません。
もちろん黙秘権はありますが、捜査への対応において事実を認めるのであれば、過去に行われた事実を正確に整理し、真実を述べることが必要です。
現在保有している端末や利用履歴の記録はそのままの状態で保存し、捜査機関への提出も検討すべきです。自己判断で不適切な証拠消去を行わず、過度の恐れから不必要な虚偽の供述を重ねることは避けなければなりません。
