1.民事裁判における裁判官の判断構造と当事者の主張のギャップ
民事裁判は、当事者双方が自らの望む判決を得るために主張と証拠を出し合い、裁判官に判断を求める手続きです。訴訟の場で提出される訴状、答弁書及び準備書面には、当事者が自身が裁判官い訴えたいと考えるあらゆる事項について記載します。
しかし、その副作用として、法律上の要件に直接関係しない個人的な感情や相手方への批判、過去の些細な出来事などが詳細に記載されることも少なくありません。これは、民事訴訟において主張の内容自体に法的な制限が設けられていないためです。当事者は、当事者が伝えるべきだと考える事柄を自由に準備書面へ記載することができます。
そのため、相手方当事者や裁判官から見れば、それらの記載内容が裁判の結論に影響を及ぼさない不必要な主張であると感じられる場面は多々存在します。裁判官が判決を下す際には、当事者の感情や主張された事実のすべてを無差別に評価するわけではありません。裁判官は、法律が定める特定の要件が充足されているかどうかを順序立てて検証し、請求の認容あるいは棄却という法的な結論を組み立てていきます。法的な要件を満たすかどうかの判断に影響を与えない事項は、裁判官にとって評価の対象外となります。
相手方当事者が提出した書面の中に裁判官の判断に影響を及ぼさない事柄が含まれている場合、当事者としてその主張にどのように向き合うべきか。相手方の書面に記載された、本論とは無関係に見える主張に対して、すべての点に事細かく反論すべきなのか、それとも取り合わずに受け流すべきなのかという判断は、裁判の対応において重要な事柄になります。
2.相手方の無関係に見える主張に対する3つの具体的対応
相手方の準備書面や訴状に本件と無関係と思われる主張が含まれている場合、実務上で取り得る対応には大きく分けて三つの選択肢が存在します。
(1) 無視する
一つ目の対応方針は、相手方の主張を完全に無視し、認否すら行わないという姿勢をとることです。訴訟で争点となっている主要な事実や法的要件と全く関連性がないことが明白である場合、認否をする必要すらないと判断してあえて触れないアプローチとなります。
認否や反論をすると、それに対してさらに、関連性のない反論を招くことがあります。無用な争点を増やさず、裁判官の意識を真の争点に集中させることを目指すのです。
(2) 概括的に対応する
二つ目の対応方針は、本案とは無関係であると考えつつも、一応の認否を行っておくという姿勢です。これは、真の争点ではないとしても、相手方の主張を無視することで事実を認めたと判断されるリスクを排除したい場合や、裁判官が万が一その事実に何らかの関心を抱く可能性を考慮した対応です。
認否を行う際には、本件と関連性がない主張であるという考えを明確に示した上で、念のために認否する旨の前置きを添える手法もあります。これにより、本案との無関連性を主張しつつも法的な不利益を防止することになります。
(3) 原則通り対応する
三つ目の対応方針は、本案に直接関連しない主張であっても、主要な争点と同様にしっかりと認否と反論を行うアプローチです。相手方の主張に虚偽が多数含まれている場合や、事実関係が実態と大きく異なる場合に有効となります。
対応の姿勢としては、主張された事項に対して認否を行うという原則に即した対応です。裁判官の判断に直接的な影響を与えるものではなかったとしても、相手方が不正確または虚偽の主張を繰り返す人物であることを示し、相手方の主張の全体的な信用性を減殺させる副次的な効果が得られる可能性があります。
3.本案と無関係な主張を無視することに伴うリスク
相手方の主張が本案と関係ないと自分で判断した場合でも、安易に放置や無視を選択することにはリスクが伴います。民事訴訟においては、相手方が主張した事実に対して明確に争わなかった場合、その事実を認めたものとみなされます(民事訴訟法第159条第1項)。当事者本人としては、本論と無関係な事実であり、裁判官も関心を持たないと考えていたとしても、裁判上の手続きにおいては不利益な事実を自白したと解釈されてしまうおそれがあります。
特定の事柄が本件と関連しているかどうかという判断は、当事者自身の感覚と裁判官の判断とで大きく異なる場合があります。当事者にとっては裁判の結論と無関係に見える事実であっても、裁判官にとっては事実認定における推認過程や、全体の証拠構造を読み解く上での補強証拠として意味を持つ場合があります。裁判官がどのような思考プロセスで争点を整理し、事実に接近しているかを正確に把握することは極めて高度な法的判断を要し、弁護士であっても読み違える危険性は常にあります。自分自身の判断だけで相手方の主張を無関係と断定し、一切の認否を放棄してしまうと、意図しない形で不利な事実認定がなされる事態を招きかねません。
相手方の主張がどれほど本質から外れているように思えたとしても、裁判官の視点から見て関連性が皆無であるかどうかの見極めは極めて慎重に行う必要があります。無用な認否で書面を煩雑にするリスクと、認否を怠ることで事実を認めたとみなされるリスクを比較し、現実的には、適切な文脈で前置きをしながら最低限の認否は常に行うことを心掛けるべきです。
4.主張の分量や証拠の多さに惑わされないための整理
相手方から提出された準備書面が極めて大量であり、添えられた証拠が膨大である場合、その分量や勢いに圧倒されて適切な対応を見失ってしまう事態が散見されます。しかし、主張の分量が多いことや証拠が大量に存在することと、それらの主張や証拠が本件と関連しているかどうかは全く別の問題です。単に主張や立証の対象が多いという事実は、対象が複雑な事案であることを示している可能性があり、反論をしなくてよい理由には一切なりません。
相手方の主張が多岐にわたる場合、それが本件の要件を満たすための正当な主張立証なのか、それとも本件と無関係な主張が混ざり込んでいるだけなのかを冷静に整理することが極めて重要となります。膨大な量に気圧されて反論を諦めたりする姿勢は避けなければなりません。
まず相手方の主張をひとつずつ分解し、法律上の要件に該当する事実と、単なる背景事情や無関係な記述とに切り分ける作業が必要となります。シンプルな事案に見えても、相手方が多角的な主張を展開している場合には、裁判官もまた複雑な事案として捉えている可能性があります。自分の側だけでシンプルな事案だから相手の主張は無関係だと決めつけるのは危険であり、相手の主張内容を分析した上で、反論の要否や度合いを整理していくことになります。
5.裁判官の意図や認識を見極めながら進める主張立証の展開方法
裁判官が相手方の主張や特定の事実に対してどの程度の関心を持っているかは、期日における裁判官の言動や釈明権の行使(民事訴訟法第149条第1項)などを通じて徐々に明らかになっていきます。裁判官が特定の事実について質問を発したり、当事者に対して追加の主張や立証を促したりする場合、その事案において裁判官がその事実に注目しているサインとなります。
初めの段階では本案と無関係と考えて念のため認否する扱いににとどめていた事項であっても、裁判官が関心を示していることが判明した場合には、対応を変更して詳細な反論や証拠の提出を行うことが検討すべきです。逆に、裁判官が関心を示しておらず、争点整理の手続きにおいても取り上げられないようであれば、無用な反論を重ねて審理をいたずらに長引かせる必要はありません。
裁判官の思考方法や論理の組み立ては、専門的な知見に基づいて行われます。これは、日常生活の感覚とは異なることも少なくありません。そのため、特定の事項と本件との関連度の高さについて、当事者と裁判官の認識の間で齟齬が生じることがあります。一見すると無関係に見える事実であっても、裁判官が結論を導くための補助的な推認要素として重視していることもありえます。一時的に関連性がないと判断したとしても、その判断に固執することなく、裁判官の発言や手続の進行具合に注意を払いながら、柔軟に反論のレベルを調整していくことも必要です。
