1.債務承認が持つ法的な意味と消滅時効への影響
(1) 支払っていない場合
債権者が債務者に対して、「債務承認書」や「念書」への署名押印を求める核心は、消滅時効の更新(中断)にあります。債権には一定の期間が行使されない場合に消滅する時効が存在しますが、債務者が自ら債務の存在を認めると、それまで積み上げてきた時効期間がすべてリセットされ、その時点から新たに時効期間が進行し始めることになります(民法第152条第1項)。
債権者が債務承認を求める最大の動機は、この時効による債権の消滅を阻止することです。なお、債務の承認は、必ずしも正式な書面への署名である必要はありません。元本や利息の一部を支払う行為や「今は支払えないが、もう少し待ってほしい」といった支払猶予の申し入れも、債務の承認とみなされます。
したがって、債務承認を求められた際には、まず現時点で時効が完成している可能性がないか、あるいは完成間近ではないかを見極める必要があります。もし時効が完成している場合、安易に債務を承認する署名や発言をしてしまうと、時効の利益を放棄したとみなされ、消滅時効を主張できる機会を失う可能性があります。
(2) 支払をしている場合
支払いをしており、消滅時効は更新されているはずなのに、債務承認を求められることがあります。この場合も、主たる目的は消滅時効の更新です。支払いをしている方法が、連帯保証人としての支払であると、主たる債務の消滅時効が更新されないため、債権者としては、主たる債務について債務承認が必要になる場合があります。
複数の債務者がいる連帯債務の場合、連帯債務者の一人について生じた事由は、その他の連帯債務者に対して効力を生じません。この規定は、連帯保証人にも準用されています(民法第458条)。つまり、連帯保証人が弁済しており消滅時効が更新されても、主債務の消滅時効は更新されず進んでしまうのです。通常の保証人においても同様です。
民法
(相対的効力の原則)
第四百四十一条 第四百三十八条、第四百三十九条第一項及び前条に規定する場合を除き、連帯債務者の一人について生じた事由は、他の連帯債務者に対してその効力を生じない。ただし、債権者及び他の連帯債務者の一人が別段の意思を表示したときは、当該他の連帯債務者に対する効力は、その意思に従う。
例えば、会社が借りた資金について、代表取締役が連帯保証をしていたとします。その後、会社の運営がうまくいかず、会社に余裕がないため、代表取締役の個人口座から返済を続けていたような場合は、連帯保証人による支払とされる可能性が高いです。
代表取締役としては、会社の債務だから会社として支払いをしているつもりで、経理上もそのように処理しているかもしれません。しかし、債権者は振込元口座名義から形式的に判断する場合があります。これは、誰からの支払であるかは、誰について消滅時効が更新したか、つまり将来的に誰に対して消滅時効更新のために訴訟提起をする必要があるかの判断にかかわる重要な事実であるためです。
主債務者からの弁済か、連帯保証人からの弁済か、債権者にとっては経済的な違いはありません。そのため、債務者や連帯保証人側の実質的な事情を考慮して権利を不安定にするメリットがないのです。結果として、明確に確認できる口座名義人を基準に取り扱うことになるのです。
債務者側からすると、支払をしているのに債務承認を求められるという状況になり、不義理な態度を示されていると感じることがあるかもしれませんが、債権者としてもやむを得ない事情があるのです。
一点、注意すべきは、ただし書の部分です。ただし書は、別段の定めができることを規定しています。そのため、契約書にて、連帯保証人に生じた事由が主たる債務者にも及ぶと定めらることができます。その場合は、連帯保証人としての支払が、別段の定めにより、主たる債務の消滅時効をも更新することになります。
2.債務承認書への署名義務と無視を続けた場合の帰結
債権者から債務承認を求められた際、債務者にはそれに応じる義務はありません。金銭消費貸借契約や売買契約などの当初の契約において、将来的に債務承認書を作成することを義務付ける条項がない限り、債務者は署名や押印を拒否する権利を持っています。そのため、債権者からの督促や面談の要請を物理的に無視し続けること自体は、直ちに犯罪になるわけではなく、またそれ自体が新たな違約金を生じさせるものでもありません。
しかし、無視を続けるという選択は、債権者に対して「任意の話し合いによる解決は不可能である」というメッセージを送ることと同義です。債権者側も、自社の債権をいつまでも放置しておくわけにはいかず、組織としての決裁や会計上の処理のために、法的措置への移行を余儀なくされます。債務承認が得られないと判断した債権者が次にとる手段は、民事訴訟の提起などの裁判所を介した方法です。判決が確定すれば、債権者は「債務名義」を手にしたことになりますから、債務者の財産に対して強制執行を仕掛けることが可能になります。このように、債務承認の拒否は一時的な時間稼ぎにはなり得ますが、最終的には裁判所を介したより厳しい回収手続きを招く可能性を覚悟する必要があります。
3.債権者が承認を求める真の意図と交渉の猶予期間
債権者が訴訟という直接的な手段に出る前に、わざわざ債務承認を求めてくる背景には、コストと手間の削減という経営的判断があります。民事訴訟には弁護士費用や印紙代、さらには判決を得るまでの長い時間が必要となります。もし債務者が債務承認書にサインをすれば、債権者は低コストで時効を延長でき、かつ将来の訴訟において「債務者が金額を認めている」という揺るぎない証拠を確保できるのです。
つまり、債務承認の要請は、債権者からの「これを認めれば、しばらくは裁判をせずに様子を見る」という一種の妥協案の提示であるとも解釈できます。債務者にとっては、署名に応じることで、即座の提訴や強制執行を回避し、その間に生活を立て直したり、具体的な返済計画を練ったりするための「猶予期間」を得られるという側面があります。
また、分割払いの相談や遅延損害金のカットといった交渉は、債権者との信頼関係があって初めて成立するものです。一切の連絡を絶ち、債務承認も拒否するという態度は、債権者の温情や譲歩を引き出す可能性を自ら摘み取ってしまうことになります。もちろん、支払う意思も能力も全くない場合にまで署名すべきでとはいえませんが、将来的な和解を視野に入れているのであれば、債務承認という手続きを交渉のテーブルに着くための材料として活用するという視点も必要です。義務のない債務承認を供給されていて腹立たしいと感情的になる前に、債務者側の事情を想像することが有益です。
4.支払不能状態における誠実な対応と法的整理の選択
現時点で債権額を認めることはできても、到底支払える見込みがないという厳しい状況にある場合、債務承認にサインすることだけが正解ではありません。サインをすることは債務を確定させる重い行為であり、返済の目処が立たないままに将来の約束をすることは、事態を先送りにしているに過ぎないからです。このような状況で検討すべきなのは、債務承認を機に、自身の経済状況を包み隠さず債権者に開示し、抜本的な解決を図ることです。
もし、家計を切り詰めても元本の返済が不可能なレベルにまで負債が膨らんでいるのであれば、債務承認書に署名する前に、自己破産や個人再生といった法的整理を検討すべき段階にあります。債務承認を求めてくる債権者は、あくまで「回収」を目的としていますが、破産手続きは債務者の「更生」を目的とした公的な制度です。不当な取り立てや過度な精神的重圧を感じているのであれば、個別の債権者との場当たり的なやり取りに終始するのではなく、法的手続きを通じてすべての債権者と一括で決着をつけることが再出発に繋がります。債務承認の要請を受けた今この瞬間こそ、無視して債権者まかせにするのか、現状を直視して法的な解決に踏み出すのかを決断すべきといえるかもしれません。
