1.「裁判をして弁護士費用も払わせる」という脅し文句の誤り
トラブルの相手方から、「徹底的に裁判をして、こちらの弁護士費用もすべて負担させてやる」と強い言葉をぶつけられることがあるかもしれません。しかし、相手方のこの言葉は、法的な観点から見ると原則として誤りです。
民事訴訟において、当事者が代理人として選任した弁護士に支払う費用は、自己負担とすることが大原則です。相手方がどれほど優秀で高額な報酬を要求する弁護士を雇ったとしても、その費用を敗訴した側が負担する法的義務は原則としてありません。したがって、相手方の「弁護士費用を払わせる」という言葉は、法的な根拠に基づくものではなく、単なる感情的な威嚇として使われていることがほとんどです。相手の強い言葉に過剰に反応する必要はありません。
2.判決文における「訴訟費用」と弁護士費用の明確な違い
弁護士費用は相手に請求できないという原則がある一方で、裁判の判決文の主文には「訴訟費用は被告の負担とする」といった記載がなされることがあります。この「訴訟費用」という言葉が、一般の方にとって誤解を生む原因となっています。この訴訟費用の中に相手方の弁護士費用も含まれていると勘違いしている方もおられますが、これらは全く別のものです。
判決文で敗訴者が負担を命じられる「訴訟費用」とは、裁判所に訴えを提起し、手続きを進めるために直接必要となった実費等を指します。具体的には、訴状に貼付する収入印紙代、書類を相手方に送達するための郵便切手代、証人が出廷した際の旅費や日当、裁判所が定めた基準に基づく書類作成の手数料などがこれに該当します(民事訴訟費用等に関する法律第2条)。これらの訴訟費用は、法律によってその範囲と計算方法が定められています。
これに対して、弁護士費用は、当事者とその代理人である弁護士との間で交わされる私的な委任契約に基づいて発生します。着手金、報酬金、日当など、契約内容によってその金額は自由に設定されます。訴訟費用が国(裁判所)を利用するための公的な実費的性格を持つのに対し、弁護士費用は私的な契約に基づくサービスへの対価です。そのため、裁判所が敗訴者に支払いを命じる「訴訟費用」の中には、相手方が自身の弁護士に支払う着手金や成功報酬は考慮されていません。相手がどれほど高額な弁護士費用を支払っていたとしても、敗訴した側が負担させられるのは、あくまで印紙代や切手代などの法定された訴訟費用のみに限定されます。
3.弁護士費用の請求が例外的に認められる不法行為による損害賠償
原則として自己負担となる弁護士費用ですが、例外的に相手方への請求が認められる類型が存在します。それが、交通事故、不貞行為、詐欺、暴行、名誉毀損といった「不法行為」に基づく損害賠償請求です(民法第709条)。不法行為の被害者は、自身の権利を回復するためにやむを得ず弁護士を依頼して裁判を起こすことになります。このような事案では、加害者の違法な行為と、被害者が弁護士に依頼したことによって生じた費用との間に相当な因果関係が認められるため、弁護士費用も「損害の一部」として加害者に請求することが例外的に許容されています。
ただし、被害者が実際に弁護士に支払った費用の全額がそのまま相手方に請求できるわけではありません。不法行為に基づく損害賠償請求において裁判所が認める弁護士費用は、原則として「認容された損害額の1割(10パーセント)」です。例えば、裁判所が慰謝料や治療費などの損害として300万円を認めた場合、その1割である30万円が弁護士費用相当額の損害として上乗せされ、合計330万円の支払いが命じられることになります。
裁判の過程において、被害者側は「弁護士にこれだけの金額を支払った」という領収書や委任契約書を証拠として提出する必要はありません。弁護士費用相当額は、事案の難易度や認容額に応じて裁判所の裁量で算定される法的な損害という扱いになるためです。あくまで請求額の1割を下らないという主張を行い、判決において金額が決定されます。この例外は、権利を侵害された被害者を救済するための仕組みであり、単なるお金の貸し借り(債務不履行)などの一般的な契約トラブルには適用されません。
4.費用倒れのリスクと委任契約締結時に確認すべき報酬の認識
自身が原告となって相手方を訴える立場になった場合、不法行為などの例外を除き、自分の弁護士費用を相手方に負担させることはできません。ここで直面する問題が「費用倒れ」という経済的なリスクです。たとえ裁判で全面的な勝訴判決を得て、相手方に金銭の支払いが命じられ回収できたとしても、自身の弁護士に支払う着手金や報酬金の方が高額になってしまう事態は、理論的にはあり得ます。特に請求金額が少額なトラブルにおいては、正当な権利を主張して勝訴したにもかかわらず、手元にお金が残らないということも、可能性としてあるのは事実です。
こうした事態を防ぎ、納得のいく解決を図るためには、弁護士に依頼する前の段階で、委任契約の内容を確認し、弁護士との間で認識を完全に共有しておくことが不可欠です。委任契約書には、着手金、報酬金、実費などの費用内容が記載されていますが、特にトラブルになりやすいのが報酬金算定の基準となる「経済的利益」の捉え方です。
例えば、相手方から500万円の不当な請求を受けていた状況で、弁護士の交渉や裁判によってその請求を完全に退けた場合、手元に新たなお金が入ってくるわけではありません。しかし、500万円を支払わずに済んだという事実が「経済的利益」と評価され、それに対する報酬金が発生します。また、勝訴判決を得た時点で報酬が発生するのか、それとも実際に相手方から金銭を回収できた時点で初めて報酬が発生するのかといった条件も、契約によって異なります。
依頼者としてはお金を回収できていないのに高額な報酬を請求されたと感じる一方で、弁護士としては判決を得るまでの業務を完了した正当な対価であると認識の齟齬が生じることがあります。委任契約書を作成する際には、どのような結果を得たときに、いくらの費用が発生するのか、疑問に感じる点はすべて質問し、経済的な見通しを立てた上で依頼することが重要です。
5.相手の要求を精査し法的手続きを恐れないための冷静な判断
「弁護士費用も負担させる」という相手方の言葉は、法的な知識がない方にとって非常に強力な脅しとして機能します。しかし、ここまで解説してきた通り、その言葉の大半は法的な裏付けを持たない威嚇に過ぎません。
相手方が不当な要求をしてきている場合、あるいは借金の返済などで合意に至っていない場合、弁護士費用の負担を恐れて、自分にとって極めて不利な示談書や念書に慌てて署名押印をしてしまうことは絶対に避けてください。一度書面で合意してしまうと、後から怖くてサインしてしまったと主張しても、その合意を覆すことは極めて困難です。相手が裁判を起こすと宣言してきたとしても、裁判所という公的な場で適正な手続きに基づいて争うことは、決して恐れるべきことではありません。むしろ、感情的な直接交渉から離れ、中立な立場の裁判官の前で自身の正当な言い分を主張できる機会と捉えることができます。
