1.相手が「嘘」をついていると感じる背景
法的なトラブルが発生した際、当事者間でお互いの言い分が真っ向から対立することは珍しくありません。相手が明らかに事実と異なる主張をしてきたり、自分の都合の良いように記憶を改ざんしているように見えたりする場合、「相手は嘘をついている」「こちらを騙そうとしている」と強い憤りを感じことでしょう。
しかし、理解しておかなければならないのは、立場が違えば事実が全く異なって見える可能性があるという現実です。当事者の一方にとっては明らかな「虚偽」であっても、もう一方にとっては本気で「それが真実である」と思い込んでいることが多々あります。人間の記憶は自己防衛のために無意識に変容することがあり、また、同じ言葉を聞いても、その言葉をどのような文脈やニュアンスで受け取ったかは人によって異なります。
そのため、相手の主張が自分と異なるからといって、直ちに「悪意を持った嘘」であると断定することは、トラブルの解決を目指す上では必ずしも有益ではありません。特に、裁判所という第三者の視点が入る場では、どちらが道徳的に正しいかではなく、どちらの言い分が客観的な証拠と整合しているかが問われます。相手の不誠実さを非難することにエネルギーを費やすよりも、なぜそのような食い違いが生じているのかを冷静に分析し、自身の主張を裏付ける事実を淡々と積み上げることが得策です。
2.録音データや契約書が存在しても「言い分」が食い違う理由
トラブルの際、「相手の言葉を録音しているから安心だ」「契約書にサインがあるから勝てる」と考える方は多くいらっしゃいます。確かに、これらは強力な客観的証拠となり得ます。ただ、これらがあれば全ての主張が無条件に認められるわけではありません。客観的な証拠があってもなお、当事者間の言い分が対立し、激しい争いになることは稀ではありません。
例えば、署名押印のある契約書が存在していても、相手方から「無理やり書かされた」「そもそも自分が署名したものではない」「別の書類だと騙されてハンコを押してしまった」といった反論が出されることがあります。このような主張が出た場合、契約書の存在だけで直ちに相手の責任を問えるわけではなく、その契約書がどのような経緯で作成されたのかという周辺事情まで遡って立証しなければなりません。
また、会話の録音データについても同様の難しさがあります。当事者同士の口頭のやり取りは、文脈が省略されていたり、言葉足らずであったりすることが非常に多いのです。本人同士は具体的な約束をしたつもりでも、後になって第三者である裁判官がその録音内容を確認したとき、それが「確定的な法的な約束(合意)」を意味しているのか、それとも「単なる希望や将来の抽象的な展望」を述べているに過ぎないのか、一意に理解されないことは珍しくありません。また、第三者が聞くと、指示語や前提の省略が多く、端的に、何を話しているのかよくわからないということも多いです。録音があるからといって自動的に勝訴できるとは限らないのです。
3.相手に対する感情的な非難が逆効果になる危険性
相手が事実と異なる主張をしてきた際、「相手は嘘つきだ」と激しく非難し、その虚偽性を裁判で徹底的に暴いてやろうと意気込むのは、自然な反応です。しかし、訴訟手続において相手の嘘を感情的に攻撃することは、マイナスとなる危険性を孕んでいます。
裁判官は日々、お互いの言い分が全く異なる事件を扱っています。当事者の主張が対立すること自体は、裁判官にとっての「日常」です。それにもかかわらず、「相手は意図的に嘘をついている」「あんな人間は許せない」といった感情的な主張ばかりを繰り返すと、裁判官からは「この当事者は客観的な事実に基づかず、感情や勢いだけで物事を主張する傾向があるのではないか」と疑われる懸念があります。
相手の故意による虚偽主張を根拠として、不法行為に基づく損害賠償などを求める訴訟を提起することも理論上は考えられます。しかし、相手が「意図的に嘘をついた」という内心の悪意を立証することは極めて困難です。よほど決定的な証拠がない限り、裁判官は「単なる認識のズレ」として処理することが多く、相手にされません。むしろ、相手を過剰に非難することで、ご自身の他の正当な主張まで「感情的な誇張が含まれているのではないか」と色眼鏡で見られてしまうリスクがあるため、極めて慎重な対応が必要です。
4.第三者を納得させために「主張と立証を尽くす」
双方の言い分が平行線をたどり、感情的な対立が解けないとき、それを最終的に解決するために存在しているのが訴訟という制度です。訴訟の場は、相手を道徳的に断罪し、謝罪を勝ち取るための場所ではなく、第三者である裁判官を客観的な事実によって説得する場所です。
裁判官に対して「自分の方が正しい」と納得してもらうためには、感情論を排除し、主張と立証を尽くすことが不可欠です。確実な証拠(明確な契約書など)が存在していれば、この手続きは比較的容易に進みます。しかし、双方の考え方や事実の捉え方に大きな乖離があり、直接的な証拠に乏しい場合は、周辺の状況証拠や間接的な事実(メールの履歴、前後の行動、金銭の動きなど)を緻密に拾い上げ、パズルを組み立てるようにして「自分の主張する事実が存在したことの方が、自然であり合理的である」と証明していく必要があります。
相手が不合理な弁解をしてきた場合は、「嘘をついている」と怒るのではなく、「相手の主張は客観的な証拠に照らして不自然である」ということを淡々と論理的に指摘すれば足ります。非難の言葉を重ねる必要はありません。裁判官に対して冷静かつ論理的な姿勢を貫くことこそが、最も効果的に相手の主張を切り崩し、自身の正当性を認めさせるための強力な手段となります。
5.「水掛け論」の泥沼を避けるための言語化と固定化
訴訟において、乏しい証拠の中から真実を紡ぎ出し、相手の矛盾を突いて裁判官を説得する作業は、当事者にとって精神的にも時間的にも多大なエネルギーを消耗します。特に、本人にとっては自明のことを説明しなければなりませんので、なぜここまでしないといけないのかと無力感に襲われます。力を出し尽くして争わなければならない事態を避けるためには、そもそも紛争の火種となる「言った・言わない」の状況を作り出さないことが最大の防御策となります。
トラブルが起きてから録音データを何度も聞き返したり、自分の主張を補強できるメッセージの文面を探し回ったりする労力に比べれば、取引や約束の最初の段階で、双方の合意内容を明確な書面(契約書や合意書など)に残しておくことの価値は計り知れません。
契約書を作成する真の目的は、単に裁判になったときの証拠を残すことだけではありません。「自分はこう考えている」「相手はこう考えているはずだ」という互いの認識のズレを、具体的な文章に落とし込む過程で早期に発見し、修正することにあります。互いの言い分が異なるという人間社会の避けられない現実を直視し、感情的な対立を未然に防ぐために言語化して固定しておくこと。それこそが、将来の不測の事態から自身の権利と平穏な生活を守るための、最も確実な方法です。
先ほど、契約書があっても相手から争われることはあると述べましたが、それでもやはり、契約書があるということは、裁判所が事実認定するときの頼りがいのある拠り所になるのです。
