1.複数債権に対する一部弁済の法的性質と消滅時効
企業間の継続的な取引や複数回にわたる貸付においては、同一の取引先に対して複数の独立した債権を同時に有する事象が発生します。取引先の資金繰りが悪化すると、債務者としてはとりあえず手元にあるお金を返済に充てるという状況になりがちです。その結果、請求総額の一部のみが振り込まれるような事態に直面します。
このような一部弁済が行われた際、経営者や法務担当者が注意すべきことは、どの債権について消滅時効がリセット(更新)されたのか、どの債権については消滅時効が従前のまま進行しているのかを正確に把握することです。とりあず支払いがあったのだから、すべての債権の消滅時効がリセットされたと判断し、もしその判断が誤っていた場合の影響は大きいです。
消滅時効は、一定期間権利を行使しないことによって権利が消滅する制度であり、時効の完成を阻止するためには時効の更新事由に該当する事実が必要です。債務者による一部弁済は、自己の債務の存在を前提とする行為であるため、原則として時効の更新事由である「承認」に該当します(民法第152条第1項)。
しかし、同一の債務者に対して複数の債権が存在している状況下において、その一部弁済がいずれの債権に対する承認として機能するのかは、弁済充当のルールと指定の有無によって結論が異なります。
2.弁済充当の指定が「された」場合
債務者が複数ある債務の一部を弁済する場合、債務者は弁済をする際に、その弁済をどの債務に充当するかを指定する第一次的な権利を有しています(民法第488条第1項)。
民法
(同種の給付を目的とする数個の債務がある場合の充当)
第四百八十八条 債務者が同一の債権者に対して同種の給付を目的とする数個の債務を負担する場合において、弁済として提供した給付が全ての債務を消滅させるのに足りないとき(次条第一項に規定する場合を除く。)は、弁済をする者は、給付の時に、その弁済を充当すべき債務を指定することができる。
2 弁済をする者が前項の規定による指定をしないときは、弁済を受領する者は、その受領の時に、その弁済を充当すべき債務を指定することができる。ただし、弁済をする者がその充当に対して直ちに異議を述べたときは、この限りでない。
3 前二項の場合における弁済の充当の指定は、相手方に対する意思表示によってする。
4 弁済をする者及び弁済を受領する者がいずれも第一項又は第二項の規定による指定をしないときは、次の各号の定めるところに従い、その弁済を充当する。
一 債務の中に弁済期にあるものと弁済期にないものとがあるときは、弁済期にあるものに先に充当する。
二 全ての債務が弁済期にあるとき、又は弁済期にないときは、債務者のために弁済の利益が多いものに先に充当する。
三 債務者のために弁済の利益が相等しいときは、弁済期が先に到来したもの又は先に到来すべきものに先に充当する。
四 前二号に掲げる事項が相等しい債務の弁済は、各債務の額に応じて充当する。(元本、利息及び費用を支払うべき場合の充当)
第四百八十九条 債務者が一個又は数個の債務について元本のほか利息及び費用を支払うべき場合(債務者が数個の債務を負担する場合にあっては、同一の債権者に対して同種の給付を目的とする数個の債務を負担するときに限る。)において、弁済をする者がその債務の全部を消滅させるのに足りない給付をしたときは、これを順次に費用、利息及び元本に充当しなければならない。
2 前条の規定は、前項の場合において、費用、利息又は元本のいずれかの全てを消滅させるのに足りない給付をしたときについて準用する。
例えば、3月分の売掛金と4月分の売掛金が存在する状況で、債務者が明確に「今回の支払いは4月分の売掛金に対するものである」と指定して一部弁済を行った場合、法的効果は厳格に限定されます。この事案において、債務者の行為は4月分の売掛金の存在を認識していることを示すものであり、当該債権に対する時効更新の効力(承認)が生じます。
一方で、指定から除外された3月分の売掛金については、債務者がその存在を承認したという外形的事実が認められません。結果として、3月分の売掛金の消滅時効は更新されることなく、当初の起算点から進行を続けることになります。
企業がこのような指定付きの一部弁済を受領した場合、指定されなかった債権が時効消滅の危機に瀕しているというリスクを把握しなければなりません。特定の債権のみが承認された状態を放置すれば、古い債権から順に消滅時効が成立する可能性が生じることになり、企業の財務状況に悪影響を及ぼします。債務者から特定の債権に対する弁済充当の指定があった場合は、直ちに未払いの残存債権全体に対する法的な回収手続きや、別途の承認取得に向けて動き出すことが求められます。
3.弁済充当の指定が「されなかった」場合(最高裁判例の論理)
債務者が複数の債権に対して、どの債務に充当するかを一切指定せずに一部弁済を行った場合、時効更新の効力がどの範囲に及ぶのかが法的な争点となります。
この点に関して最高裁判所の判例は、「同一の当事者間に数個の金銭消費貸借契約に基づく各元本債務が存在する場合において、借主が弁済を充当すべき債務を指定することなく全債務を完済するのに足りない額の弁済をしたときは、当該弁済は、特段の事情のない限り、上記各元本債務の承認(民法147条3号)として消滅時効を中断する効力を有すると解するのが相当である(大審院昭和13年(オ)第222号同年6月25日判決・大審院判決全集5輯14号4頁参照)」(最高裁判所第三小法廷令和2年12月15日判決)と判断しました。
その理由として、「なぜなら、上記の場合、借主は、自らが契約当事者となっている数個の金銭消費貸借契約に基づく各元本債務が存在することを認識しているのが通常であり、弁済の際にその弁済を充当すべき債務を指定することができるのであって、借主が弁済を充当すべき債務を指定することなく弁済をすることは、特段の事情のない限り、上記各元本債務の全てについて、その存在を知っている旨を表示するものと解されるからである。」としました。
この判例の理由付けが積極的かどうかは、議論が分かれ得るでしょう。つまり、弁済充当しないことが複数債権の存在を知っている旨を示すというのは、一般の感覚とはかけ離れているように思われます。単独の債権しかないからこそ、あえて弁済充当を指定しなかったということも十分あり得るでしょう。ただ、この判例は、大審院の判決を改めて確認したものです。つまり、裁判所の立場は変わっていないということです。
理由付けの妥当性はありつつも、債務者は弁済充当を指定する権利を持っているのであり、その権利を行使しないのであれば全ての債務について認識しているとされてもやむを得ないという結論の妥当性としては、受け入れやすいものと思います。
また、判例は「特段の事情のない限り」という留保を付けています。特段の事情としてどのようなものがあり得るかは、判例は名言していませんが、債務者が特定の債務について認識していない事情があれば、それは特段の事情といえるでしょう。その事情を債務者が立証できれば、債務者が認識していなかった債務については、消滅時効は更新しないことになります。
いいかえれば、債務者が認識していなかったといえる債務以外については、債務者が弁済充当の指定をしないという不作為をした以上、消滅時効の更新という不利益を債務者に与えても良いという判断が示されてということができます。
この判例の論理に従えば、債権者にとっては弁済先の指定がない状態での支払いのほうが、全債権の時効更新という強力な効果を得られるため、債権保全の観点からは有利に機能すると言えます。
また、指定が存在しない状態での実際の残高の消滅計算については、法律の規定に基づく法定充当のルールに従って処理されます(民法第489条第488条第3項)。法定充当においては、債務者のために弁済の利益が多いもの、利益が等しい場合は履行期が先に到来したものなど、客観的な基準に従って順次充当が行われます。
4.債権者による弁済充当の指定権と実務上の負担
債務者が弁済の充当を指定しなかった場合、弁済を受領する債権者側から充当の指定を行うことが法律上認められています(民法第488条第2項)。債権者が指定を行う場合、債務者が直ちに異議を述べない限り、その指定された債権に弁済が充当されます。しかし、債権管理の実務において、この債権者からの指定権の行使が消滅時効の更新に与える影響には注意が必要です。
消滅時効を更新させる「承認」の効力は、あくまで債務者自身の行為(指定のない一部弁済という事実)によって全債権に対してすでに発生しています。その後、債権者が自社の会計処理の都合などで特定の債権に充当を指定したとしても、債務者が一度行った全債権に対する承認の効力が事後的に消滅したり、特定の債権のみに縮小されたりするわけではありません。
ただし、これを理由に債権者が何ら対策を講じないことには重大なリスクが伴います。将来的に債務者との間で訴訟に発展した際、債務者側から「あの時の支払いは特定の債務を指定したつもりだった」という反論が提起される余地が残るからです。例えば、振り込まれた金額が特定の請求書の金額と完全に一致しているような事案では、明示的な言葉がなくとも黙示の指定があったと認定される危険性があります。
最高裁判例の法理のみに依存することは、債務者からの訴訟提起や訴訟における立証活動の負担を増大させ、費用対効果としては好ましくありません。
5.消滅時効の完成を阻止し経済的損失を防ぐための債権管理
複数の債権が存在する状況下での一部弁済は、時効の進行において極めて不安定な状態を生み出します。企業が採るべき適切な債権管理の手法は、一部弁済の法的解釈に依存することではなく、事実に即した確実な証拠を能動的に形成することです。
債務者から一部弁済の申し出があった段階、あるいは指定のない支払いを受けた直後の段階で、債務者との間で対面や書面による協議を実施し、現時点で存在するすべての未払い債権の総額、内訳、および今後の返済計画を明記した「債務承認弁済契約書」や「合意書」を締結することが有益です。公正証書として作成することができれば望ましいです。
書面によって全債務の存在を明確に承認させることで、過去の一部弁済による承認の有無という争点を排除し、全債権の消滅時効を確実に更新させることができます。
判例法理に、弁済充当の指定が無かったことに頼ったり奇貨とするのではなく、一部弁済という事実を債権回収の契機と捉え、債務者に対して積極的に状況の説明を求めるなどし、債権全額の保全に向けた手続きを実行することが、企業の利益を守るための姿勢として望ましいものといえます。
