1.逮捕状が発付される厳格な要件と手続
トラブルの相手方から、「このままだと逮捕状が出る」「警察を動かして逮捕状を出させる」などと告げられることがあります。しかし、このような脅し文句は、法の定める手続きの完全に無視したものです。私人(一般の個人や企業)が自らの意思や権限で逮捕状を発付させることはできませんし、発付を求める手続きもありません。
逮捕は、個人の身体の自由を極めて強力に拘束する重大な処分です。そのため、憲法第33条および刑事訴訟法第199条第1項により、原則として裁判官があらかじめ発付した令状(逮捕状)によらなければならないとする「令状主義」が定められています。逮捕状を請求できる権限を持っているのは、検察官や一定の階級以上の警察官などの捜査機関に限られており、被害者やトラブルの相手方は関与することさえできません。
さらに、捜査機関が逮捕状を請求したからといって、自動的に発付されるわけでもありません。裁判官が、提出された証拠資料に基づき、「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」(刑事訴訟法第199条第1項)があるかどうかを審査します。これに加え、被疑者に「逃亡の虞」や「罪証隠滅の虞」なく「逮捕の必要性」なければ、裁判官は逮捕状の請求は却下されます(刑事訴訟規則第143条の3)。つまり、逮捕状とは、相手方の個人的な感情や思惑によって左右されるものではなく、裁判官の判断によってのみ発付されるものなのです。
2.相手方が「逮捕状が出る」と事前に知り得ない理由
法的な仕組みを理解すれば、相手方が「逮捕状が出ている」「これから逮捕状が出る」と事前に断言することの不合理は明らかです。仮に、相手方が警察に対して被害届を提出したり、告訴を行ったりしていたとしても、その後の捜査の進捗や、いつ逮捕状を請求するかといった情報が、捜査機関から相手方に報告されることはありません。
逮捕という手続きの性質上、事前の予告は絶対にあり得ません。逮捕は「逃亡」や「証拠隠滅」を防ぐことも目的になるからです。もし警察官が、事前に「明日、逮捕状を持って行く」と被疑者に伝えたり、被害者を通じて「逮捕状が出た」と伝えさせたりすれば、被疑者は逃亡したり、関係者と口裏を合わせたり、証拠となるデータや物品を破棄したりする猶予を与えられることになります。これは捜査の目的を根本から破壊する行為であり、捜査機関はそのようなことは絶対に行いません。
したがって、相手方が「逮捕状が出たから、嫌ならお金を払え」などと迫ってきた場合、それには根拠がなく、単にあなたの恐怖心を煽るための物言いに過ぎません。
3.脅し文句自体が「脅迫罪」や「恐喝罪」を構成する可能性
「逮捕状を出させる」という言葉を用いて相手に精神的な圧迫を加える行為は、それ自体が犯罪を構成する可能性があります。相手の要求を呑ませる目的で、不当に刑事手続を利用しようとする態度は、決して保護されるものではありません。
「脅迫罪」(刑法第222条)は、生命、身体、自由、名誉または財産に対して害を加える旨を告知した場合に成立します。「逮捕させる」といった発言は、相手の「自由」を奪うことや、逮捕されることによる「名誉」の失墜を突きつけるものであり、害悪の告知に該当し得ます。
さらに、この脅迫を用いて「逮捕されたくなければ示談金を支払え」「警察に行かない代わりに慰謝料をよこせ」などと財物の交付を要求した場合、「恐喝罪」(刑法第249条)が成立する可能性さえあります。自分の思い通りに金銭を得るために国家の権限を不当に適示する行為は、悪質な行為とされるおそれがあります。
4.悪質な要求とエスカレートする危険性
このような脅し文句を用いてくる相手は、極めて悪質であり、一般的な話し合いが通用しないことが多いです。彼らの目的は、正当な被害回復ではなく、相手の無知や恐怖心に付け込んで、不当な利益を獲得すること、あるいは精神的な支配状態を作り出すことにあると言わざるを得ません。
悪質な相手は、「逮捕状」という言葉以外にも、法律用語を都合よく使うことがあります。「詐欺罪で告訴する」「裁判にする」「親しい警察官がいる」とするなど、冷静な判断力を奪おうとしてきます。また、「職場に連絡する。逮捕されることを言いふらす」「実家に取り立てに行く」などと、社会的な立場や人間関係を人質に取るような手段に打って出ることもあります。
さらに警戒すべきは、実際に全くの虚偽の事実をでっち上げて警察に被害を申告することです。しかし、根拠なく他人に刑事処分を受けさせる目的で嘘の申告をすることは、「虚偽告訴罪」(刑法第164条)に該当しますし、こういった相手は、警察は面倒な存在と認識していることが多いですから、自ら警察との接点を作ることはほぼありません。そういった点からも、「逮捕状を出させる」といった言葉は悪質なことが多いのです。
5.決して要求に屈してはならない理由
「逮捕状」という言葉の重圧に耐えかねて、「とりあえずお金を払って穏便に済ませよう」「相手の言うとおりに誓約書にサインをしてしまおう」と考えるのは、最も避けるべき判断です。一度でも相手の不当な要求に屈してしまうと、事態は決して解決に向かいません。
悪質な相手にとって、一度支払いに応じた人間は、「誠意を見せてくれた相手」ではなく、「脅せば何度でもお金を出す標的」となってしまいます。当初は「これで最後だ」と言っていたとしても、時間が経てば新たな要求してくる可能性があります。
このような相手との間で、「話し合って分かってもらおう」と努力することはほぼ意味がありません。相手の発言やLINEのメッセージ、着信履歴などはすべて恐喝や脅迫の決定的な証拠となりますので、絶対に消去せずに保存しておくことが第一歩です。その上で、直ちに相手との直接の接触を断ち切り、要求を完全に遮断する毅然とした対応をとらなければなりません。
