1.逮捕は「刑罰」ではなく「捜査のための手段」であること
犯罪の被害に遭われた方が、加害者に対して「到底許すことができない」「直ちに罰してほしい」と強い憤りを抱くのは、ごく自然です。そして、その感情の矛先として「すぐにでも加害者を逮捕してほしい」と望むことは、当然のことといえます。しかし、刑事手続きの制度上、逮捕は加害者に対するペナルティ(刑罰)ではありません。逮捕とはあくまで逃亡や証拠の隠滅を防ぎ、事件の真相を解明するための「捜査の手続き」に位置付けられています(刑事訴訟法第199条第1項)。
犯罪が行われたことが明らかであり、加害者が憎むべき行為に及んでいたとしても、ただちにそれが逮捕という結果に結びつくわけではありません。刑罰は、検察官が起訴を行い、裁判所が公開の法廷で証拠を調べた上で、最終的な判決として言い渡されるものです。したがって、まだ有罪が確定していない捜査の初期段階において、罰を与えるという目的で警察が身柄を拘束することは、制度としては想定されていないのです。
2.被害者の処罰感情がそのまま「逮捕の要件」にはならない理由
捜査機関に対して「加害者を重く処罰してほしい」あるいは「有罪にしてほしい」と主張することは、被害者として極めて合理的な行動です。しかし、「逮捕してほしい」という要望については、そのまま警察や検察の行動を決定づけるものにはなりません。なぜなら、逮捕を実行するかどうかは、被害者の希望によって決まるものではなく、法に基づいて捜査機関が判断し、最終的には裁判官が令状を発付することによって決まるからです(刑事訴訟法第199条第2項)。
逮捕の要件は「罪の重さ」や「行為の悪質さ」で判断されるわけではありません。被疑者が証拠を隠したり捨てたりする危険性があるか、あるいは住所が不定であったり逃げ出したりする恐れがあるか、という要件が問われます。たとえば、抽象的には、加害者の身元がはっきりしており、定職に就いて家族と同居しているような事案では、逃亡や証拠隠滅の恐れがないと判断される事情になります。警察が被害申告を受け付けてくれたからといって、必ずしも加害者が直ちに逮捕されるわけではないという事実を事前に知っておくことは、その後の手続きへの過度な期待と現実とのギャップに苦しまないためにも重要です。
3.身柄を拘束されない「在宅事件」と書類送検
ニュースなどの報道において、「書類送検」という言葉を目にすることがあると思います。これは法律用語ではありませんが、実務上、警察が被疑者を逮捕せずに捜査を進め、集めた証拠や作成した調書などの書類だけを検察官へ送致する手続きを指します(刑事訴訟法第246条本文)。全ての事件において被疑者が逮捕されるわけではなく、むしろ統計上は、身柄を拘束されないまま捜査が進む「在宅事件」として処理される事案が多いです。
在宅事件においては、被疑者は自宅で生活を続けながら、警察や検察から呼び出しを受けた日に出頭して取り調べを受けます。被害者からすれば、自分を傷つけた人間が平然と日常生活を送っている状況に強い不安や不条理を感じるのも無理はありません。しかし、これは警察が事件を軽視しているわけではなく、「身柄を拘束する必要性がない」と法的に判断された結果に過ぎません。警察の捜査は進行しており、書類送検の手続きを経て、最終的な処分の判断は検察官へと引き継がれることになります。
4.逮捕の有無は最終的な「有罪・無罪」や量刑と直結しない
逮捕されなかった事実をもって、「罪に問われないのではないか」「無罪放免になってしまうのではないか」と落胆されることもあるかもしれません。しかし、逮捕の有無と、最終的に刑事裁判で有罪になるか無罪になるか、あるいはどれくらいの重さの刑罰が科されるかという結論は、直接的には関係しません。
在宅事件のまま捜査が進められた事案であっても、検察官が起訴することは当然にあります。在宅事件において、最終的に拘禁刑や罰金刑が課されることは日常的に存在します。逆に、事件直後に逮捕され、長期間の身柄拘束を受けた被疑者であっても、被害者との間に示談が成立したり、証拠が不十分であったりすれば、不起訴処分となって前科がつかずに釈放されることもあります。
5.適正な処罰を求めるために被害者が取るべき法的手段
加害者に対して相応の処罰を求めるのであれば、「逮捕」という手続きそのものにこだわるのではなく、捜査機関が確実に起訴へ向けて動けるようへの捜査への協力と、処罰を求める意思を明確に表明することが望ましいです。被害の事実を詳細に記録し、できる限りの証拠を確保して、警察へ被害届を提出することから始まります。さらに、より強い処罰の意思を示すために、捜査機関に対して犯罪事実を申告し処罰を求める「告訴」を行うこともあります(刑事訴訟法第230条)。
告訴状が正式に受理されれば、警察には一定の捜査義務が生じ、検察官は最終的な処分の結果を告訴人に通知しなければなりません(刑事訴訟法第260条)。ただし、法的に要件を満たした告訴状を作成し、警察に受理させる手続きは、被害者個人にとっては精神的にも物理的にも負担が大きいことがあります。場合によっては、弁護士を代理人とすることも、現実的な手法となります。
