満員電車での偶発的な身体接触と痴漢の嫌疑|故意の有無による犯罪成否と誤解を防ぐ対応

1.満員電車における意図しない身体接触と痴漢

満員電車の車内や混雑した駅構内では、電車の急停車や揺れ、乗客同士の押し合いなどによって、意図せず他人の身体に接触してしまうことは珍しくありません。このような状況において、痴漢になるのではないかと心配される方がおられます。

これらの身体接触について、刑事上の罪責が問われるか否かを判断するにあたっては、刑法上の原則を理解しておく必要があります。痴漢行為が問題とされる罪としては、不同意わいせつ罪(刑法第176条)や、各都道府県が定める迷惑防止条例における痴漢・卑わいな行為の禁止が挙げられます。そして、これらの犯罪が成立するためには、犯罪の構成要件に該当する事実が存在することに加えて、行為者に「故意」が存在することが必要です(刑法第38条第1項本文)。

刑法

(故意)
第三十八条 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

故意とは、自己の行為や結果などが構成要件に該当すること認識し、かつそれを認容している心理状態を指します。いわゆる「わざと行った」という認識です。

刑法においては、過失による行為を処罰する規定が個別に定められていない限り、過失行為を処罰することは原則としてありません(刑法第38条第1項ただし書)。不同意わいせつ罪や迷惑防止条例違反には過失犯を処罰する特別の規定が存在しないため、電車の揺れによってバランスを崩し、偶然に手が相手の身体に触れてしまったような場合や、混雑の圧力によって身体が接触してしまったような状況においては、犯罪事実に対する認識も認容も存在しない以上、故意が認められず、犯罪は成立しません。

2.「犯罪の不成立」と「嫌疑をかけられるリスク」の峻別

犯罪が成立しないことと、現場において相手方や周囲の第三者から痴漢行為を疑われることとは、全く別の問題です。身体に意図しない接触を受けた側からすれば、背後や死角からの接触について、それが不可抗力によるものなのか、それとも意図的な加害行為であるのかを瞬時に見極めることは困難です。混雑した空間特有の視界の悪さや精神的な警戒心も重なり、物理的な接触の感触そのものが不快感や恐怖感を引き起こし、意図的な犯行であると受け止められる状況も十分にあり得ます。

過失犯が処罰されないということは、あくまでも事案の全貌が解明された後に下される司法判断の基準に過ぎません。現場においては、行為者と相手方に主観的な認識の不一致が存在する以上、当事者間に疑惑が生じることを防ぐことはできません。

犯罪が成立しない行為であっても、事実関係の誤認が生じるリスクは隣り合わせであることは認識しておく必要があります。

3.偶発的な接触を奇貨とした追加行動がもたらす刑事責任

偶然の接触であったとしても、その後の行動や身体の動かし方によっては、法的な評価が変化し、意図的な犯罪行為として認定される危険が生じます。電車の揺れによって手が相手の身体に触れた際、本来であれば直ちに手を引っ込めるなどの回避動作を取るべきところを、その接触を奇貨として触れ続けたり、自らの身体をさらに押し付けたりするような挙動を取った場合がこれに当たります。

接触が始まった最初の瞬間は過失や不可抗力であったとしても、相手の身体に触れているという事実を自覚した段階でそのまま接触を継続させることは、もはや偶発的な事故とはいえず、作為的な行為を認容したと評価されることになります。

これは故意が肯定される状況であり、不同意わいせつ罪(刑法第176条)や迷惑防止条例違反の成立を招くおそれがあります。

実際の捜査においても、最初の行為から痴漢行為であるとして捜査が進むことも当然ありますが、身体が触れた後に離れようとした形跡が認められない場合や密着度を強めるような動きに重点が置かれ、その行為態様が被害者供述で重点的に聴取されているということは良くあります。

行為者の「最初はわざとではなかった」という弁解が排斥されたり、無罪の主張としては不十分であるとされてしまうことになりかねません。不可抗力の接触が生じた際には、速やかに身体を離し、接触状態を解消する積極的な挙動を示すことが重要です。

4.接触が生じた直後における適切な振る舞い

混雑した車内などで意図せず他人の身体に接触してしまった際には、その直後の振る舞いが重要です。偶然の接触を、その実態のとおりに単なる偶発的事故として収束させるためには、一般の社会通念に照らして自然かつ誠実な対応をその場で行うことが求められます。身体や手が意図せず触れてしまったのであれば、直ちに身体を引き離す努力を払うとともに、ときには声に出して謝罪を行うことが通常です。

「満員電車なのだからぶつかるのは当然だ」「電車の揺れのせいなのだから自分に責任はない」という内心の理屈から、無言で居座ったり不快感をあらわにしたりする態度は、相手方に対して悪意や敵意を感じさせ、作為的な痴漢行為であったのではないかという疑念を強める原因となり得ます。相手方の立場に立てば、不可抗力の接触であっても不快な思いや迷惑を被っていることに変わりはありません。その場で礼儀ある一言を交わし、迷惑をかけたという事実に対して社会人としての配慮を示すことで、相手方の抱く不信感や警戒心は大幅に緩和されることが期待できます。

刑事上の故意や民法上の不法行為責任(民法第709条)の有無を頭の中で検討する前に、対人関係における基本的な礼節を守ることが、不要な紛争を未然に防止するための現実的な対応です。形式的に責任がないことを主張して居直る態度は、相手方の処罰感情を刺激し、本来であれば事件化しないはずの事態を刑事事件へと発展させるおそれを生じます。

5.万が一痴漢と疑われた状況下で執るべき行動

いかに注意を払っていたとしても、周囲の誤解や思い込みによって痴漢の疑いをかけられ、相手方から腕を掴まれたり声を上げられたりする事態を完全に排除することはできません。そのような極限の状況に直面した際には、感情的なパニックに陥ることなく、適切な初動方針を維持することが不可欠です。

相手方の指摘に対して激高して大声を出したり、その場から逃走を図ったりする行為は、周囲に対して罪の意識を窺わせる不利益な心証を与えるだけでなく、転倒事故などによる更なる法的トラブルを惹起するおそれがあります。

従前から、痴漢の疑いをかけられたらどうすればよいかという議論は、弁護士に限らず、一般の方にとっても話題性のある内容です。何もせずに無視してその場を離れるのがいい、駅員室に行ってはいけないといった消極的対応や、身分を明かせば逮捕されない、すぐに弁護士を呼べばいいなど、様々なことがいわれていますが、絶対的な正解はありません。

心掛けることとしては、相手方を説得しようとしないことです。まず落ち着いた態度で「触っていません」「故意ではありません」と明確に事実を否認することです。そして、自分の状態や相手の状態を確認し、目撃者になってくれそうな人がいるかを確認するなど、現状の確認に努めます。駅員室や警察署へ同行を求められた場合も、基本的な姿勢は変わりません。

その場の相手や駅員を説得しようとしたり議論しようとしたりしても、話がまとまる可能性は低いです。説明すべきことは伝えるべきですが、可能であれば録音をするなどし、弁護士に直ちに連絡をし、状況を悪化させずに対処することが望ましいです。

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