1.裁判における「和解」の本質
民事訴訟などの手続きにおいて、最終的な裁判官の判断(判決)を待たずに、当事者双方が合意によって争いを終わらせる手続きに和解があります。「和解は、当事者が互いに譲歩をしてその間に存する争いをやめることを約することによって、その効力を生ずる」(民法695条)とされています。裁判でする和解は、裁判上の和解と呼ばれており、和解が調書に記載されたときは、「その記載は、確定判決と同一の効力を有する」(民事訴訟法267条)。
譲歩と聞くと、請求している金銭の額を減額することだけを想像されがちですが、実際の譲歩の内容は非常に多岐にわたります。金銭の支払いに関して言えば、一括で支払うべきものを分割払いに変更することや、本来であればすでに到来している支払い期限を数ヶ月先まで延期することも、立派な譲歩に含まれます。さらに、和解の条件は金銭の支払いに限定されるものではありません。当事者間の合意さえあれば、裁判の対象となっている事柄以外の要素を柔軟に盛り込むことが可能です。たとえば、これまでの経緯について相手方に謝罪の文言を表明させたり、特定の場所からの退去を約束させたり、口外禁止条項を設けたり、あるいは今後の接触を禁止する条項を設けたりすることもできます。
このように、和解とは単なる勝ち負けを決めるものではなく、当事者双方が納得できる形で紛争の解決を図るための、極めて柔軟で無限定な枠組みといえます。唯一にして絶対の条件は、当事者双方がその内容を了解し、合意するということです。たとえ内心では渋々であったとしても、最終的に双方がその条件を受け入れれば和解は成立し、裁判はそこで終了することになります。
2.明白な証拠がある事案において和解を選択する合理性
契約書や借用書といった決定的な証拠が手元にあり、相手方もお金を借りた事実そのものは認めているような事案において、なぜわざわざ譲歩してまで和解をする必要があるのかと疑問に思われるかもしれません。訴訟を進めれば、満額の支払いと遅延損害金を命じる勝訴判決を得られるかもしれません。しかし、どれほど完璧な勝訴判決を得たとしても、相手方の手元に支払うべき現金がなければ、その判決文は単なる紙切れ、いわゆる「空手形」になってしまいます。
法的な権利が確定することと、実際に金銭を回収できることは、まったく別の問題です。相手方が「今は一括で支払うお金がない」という経済状況にある場合、一括払いを命ずる判決が得られても事態は好転しません。このような状況下では、あえて和解を選択し、相手方が現実に支払い可能な金額での分割払いを受け入れることが、結果として回収への一番の近道となることは珍しくありません。また、単に支払いを猶予するだけでなく、和解の条件として、何らかの担保を提供させたりすることで、判決を得るよりもかえって強力な債権回収の枠組みを構築できることもあります。
3.判決による強制執行の限界と合意による回収率の向上
勝訴判決を得たにもかかわらず相手方が自発的に支払わない場合、相手方の財産を差し押さえる強制執行の手続きをとることになります(民事執行法22条)。しかし、この強制執行は万能ではありません。近年は財産開示手続などが整備されてきていますが、いまだ強力な制度とは言い切れないのが現状です。相手方がどこの銀行に口座を持っているのか、あるいはどこに勤務して給与を得ているのかといった財産情報を、債権者が特定しなければならない原則は変わりません。財産が見つからなければ、強制執行は空振りに終わってしまいます。
一方で和解による解決は、当事者が自らその条件に合意しているという点において、判決とは根本的に心理的状況が異なります。強制的に命じられた支払いではなく、自分自身で約束した支払い計画であるため、債務者としても心情的に支払いへの心理的抵抗が下がり、自発的な履行が期待しやすくなります。もちろん、和解をしたからといって絶対に支払いが滞らないと断言はできませんが、一般論として、判決の場合よりも、和解のほうが最終的な金銭の回収率は高くなる傾向にあります。
4.時間的コストの削減と上訴リスクの遮断
裁判を最後まで戦い抜いて判決をもらうことには、目に見えない多大なコストとリスクが伴います。地方裁判所で勝訴判決を得たとしても、相手方がその判決に不服を申し立てて控訴(上訴)をしてくれば、裁判はさらに高等裁判所へと舞台を移し、長期化することになります。紛争が長引けば長引くほど、ご自身が抱える精神的な負担は大きくなり、場合によっては弁護士費用などの経済的な負担も追加で発生する可能性があります。
和解に応じることは、このような時間的、経済的なコストを瞬時に断ち切るという極めて大きな意義を持っています。さらに、訴訟手続きの中で作成される和解調書は、確定判決と全く同じ法的な効力を持ちます(民事訴訟法267条)。つまり、和解が成立した時点で相手方はもう不服を申し立てて上訴することはできなくなり、紛争は終結します。和解条項の中に「分割払いを一度でも怠った場合、期限の利益を失う」といった期限の利益喪失条項を定めておけば、債務者が支払いを怠った際には、改めて裁判を起こすことなく、和解調書を根拠として直ちに強制執行の手続きに移行することが可能です。このように、和解は単なる妥協ではなく、上訴のリスクを遮断しつつ、確実な執行力を手に入れるための合理的な選択といえます。
5.敗訴を見据えた相手方が和解に応じる現実的な動機
和解は双方の合意が必要であるため、勝訴が確実な側だけでなく、敗訴が濃厚な相手方にとっても和解に応じるメリットがなければ成立しません。客観的に見て裁判で負けることが明らかな相手方が和解の席に着く最大の理由は、判決による強制執行という最悪の事態を自らのコントロール下で回避するためです。
判決が確定し、ある日突然自身の預金口座が凍結されたり、勤務先の給与が差し押さえられたりすれば、相手方は生活の基盤を脅かされるだけでなく、会社に対して借金やトラブルの存在を知られてしまうという不利益を被ることになります。相手方は、このような結果を避けるために、和解に応じる現実的な動機を持っています。
お金を請求する側としては、相手方のこのような状況も考慮して、相手方が「これならば払える」「この条件を飲んだほうが自分にとってもダメージが少ない」と思える現実的な落とし所を提示することが重要になります。相手を徹底的に追い詰めることではなく、いかにして確実にご自身の利益(回収)を最大化するかという視点で考えると、和解という選択肢が持つ真の価値が浮かび上がってきます。
【付記:WordPress投稿用データ】
