1.「弁護士に言う」「裁判をする」「警察に行く」という言葉は脅迫罪になるのか
他人との争いごとの最中、相手方から「弁護士に依頼する」「裁判を起こしてやる」「警察に被害届を出す」といった言葉を投げかけられることがあります。 言われた側とすれば、これから大事になるのではないか、社会的な制裁を受けるのではないかという不安に感じ、「やられたくなければ要望を呑め」と言われているように感じるかもしれません。これらの言葉を「脅迫だ」と感じることは無理もありません。
しかし、結論から申し上げますと、これらの発言が直ちに刑法上の「脅迫罪」(刑法222条)を構成するわけではありません。
脅迫罪における「脅迫」とは、相手を畏怖させる(怖がらせる)に足りる「害悪の告知」が必要です。ここでいう「害悪」とは、生命、身体、自由、名誉または財産に対するものです。。 例えば、「殴るぞ」「殺すぞ」「家に火をつけるぞ」といった発言は、違法な手段を用いて相手に害を与える告知であるため、典型的な脅迫になります。
他方で、「弁護士に言う」「裁判をする」「警察に行く」という行為は、市民に認められた正当な権利行使の手続きです。 自らの権利を守るために、法律の専門家である弁護士に相談したり、民事訴訟を提起したり、警察に被害申告したりすることは、正当な手段の提示に過ぎません。
日常とは異なる紛争状態において、相手方が今後の手段として「法的手続きをとる」と宣言することは、言われた側にとっては今後の負担を感じさせる事実かもしれませんが、それは「害悪」ではなく、あくまで「事実」あるいは「予定されている適法な行為」を告げているに過ぎません。したがって、単にこれらの言葉を言われたからといって、直ちに警察が脅迫事件として扱うことにはなりませんし、相手に対して損害賠償請求できることにはならないことを、冷静に受け止める必要があります。
2.「怖い」と感じる気持ちと法律上の判断は異なる
相手の言葉に対して「怖い」と感じること自体は、ごく正常な反応です。 普段、平穏な生活を送っている中で、突然「裁判」や「警察」といった非日常的な単語を出されれば、誰しもが動揺します。
しかし、法律の世界では、「言われた側が怖かったかどうか」だけで脅迫の成否が決まるわけではありません。客観的に見て、その告知された内容が、相手を畏怖させるような害悪の告知に当たるかどうかが判断されます。
もちろん、権利行使の告知であっても、その態様や目的によっては脅迫罪や恐喝罪になり得るケースは存在します。 例えば、「裁判や警察沙汰になれば、誰もが知ることになる」といった場合や、「弁護士は俺の言うことなら何でも聞く。全部お前の責任になる」「警察には顔が効くんだ。どうにでもできる」などと、権利行使の範囲を逸脱して相手を執拗に追い詰めるような言動があった場合は別です。 また、全く権利がないにもかかわらず、相手を畏怖させる目的だけで裁判をちらつかせるような場合も、違法性を帯びる場合があります。
しかし、単にトラブルの相手方が、今後採り得る手段の一つとして法的措置を示唆しただけであれば、それは「交渉のテーブルに乗っているカード」を見せられたに過ぎません。 「怖い」という主観的な感情と、相手の行為が「違法な脅迫」であるかという客観的な法的判断は、明確に分けて考える必要があります。この区別を混同して、「脅迫された」としても、事態は好転しませんし、むしろ解決を遠ざけてしまうことさえあります。
3.紛争という「イレギュラーな状況」を直視する
トラブルが発生している時点で、あなたの状態は、すでに「平穏な日常」ではありません。争いという「非日常」な状況に身を置いているのです。
この状況下において、相手方もまた、自身の利益を守るために必死です。相手が「弁護士」や「警察」という言葉を使うのは、相手自身も事態を深刻に捉え、解決のために強い手段に出ようとしている証拠でもあります。 これを単なる嫌がらせや脅しと受け取るのではなく、「相手は本気で解決(あるいは対決)を望んでいる」という表われとして受け止めるべきです。
多くの人は、トラブルに巻き込まれると、「何事もなかったかのように平穏な日々に早く戻りたい」と願います。 「相手が引き下がってくれればいいのに」「弁護士なんて大げさなことを言わないでほしい」と思うのは当然の心理です。 しかし、すでに争いが生じている以上、無傷で、何の負担もなく、元の生活に戻ることは非常に困難です。それは一種の「願望」であり、厳しい言い方をすれば「高望み」になってしまうこともあります。
トラブルを解決し、再び平穏な日常に回帰するためには、時間的、精神的、あるいは金銭的な「苦痛(コスト)」をある程度引き受けなければなりません。 「怖いから嫌だ」「面倒なことはしたくない」といって現実から目を背けても、非日常な状況は解消されません。むしろ、対応を先送りにすることで、それこそ裁判などに進むことになり、解決まで時間がかかることになりかねません。
4.相手を追及しても解決しない。冷静な対処こそが解決への近道
「裁判をする」と言われて恐怖し、萎縮してしまったり、逆にパニックになって相手に暴言を吐き返してしまったりすることは、最も避けるべき対応です。 恐れていても、状況は改善しません。また、相手を「脅迫者」扱いして敵対心をむき出しにしても、交渉という手段を捨てる以上の意味はありません。ときおり、「相手に脅迫だと言えば、相手は引き下がるのではないか」と言われる方がいますが、多くの場合それは悪手です。相手が現実に脅迫をしているのであれば当然の選択ですが、そこまでいかずに自らの権利を主張しているだけであれば、話し合いができず、結局裁判などの重い手続きに向かうことになります。
重要なのは、感情を排して事実を見つめ、冷静に対処することです。 相手が「弁護士に言う」と言ってきたのであれば、こちらも相応の準備をすればよいのです。「裁判をする」と言われたなら、裁判になった場合に自身の主張が認められるだけの証拠があるかを検討すればよいのです。
相手の言葉が、単なるはったりなのか、本気で手続きを進めるつもりなのかを見極める必要もあります。しかし、他人の内心を正確に知ることはできません。 「怖い」と感じたら、その恐怖に飲み込まれるのではなく、いざというときの準備をするための動機に変えてください。
相手が弁護士を立ててくるのであれば、こちらもまた、弁護士を味方につけることで、対等な立場で話し合いを進めることができます。 弁護士は、あなたが今置かれている状況から、最短で平穏な日常に戻るための方法を検討して提示します。
5.解決に向けた第一歩を踏み出す
争いごとは、誰にとってもストレスです。 しかし、そのストレスから逃げるために「相手の言葉は脅迫だ」と責任転嫁をしても、問題は解決しません。 今の苦しい状況から抜け出すためには、直面している「事実」を受け入れ、適切な「手段」を選択し、一つ一つ問題をクリアしていくしかありません。
もし、相手方から法的措置をほのめかされて不安を感じているのであれば、一人で抱え込まず、まずは法律の専門家に相談してください。 それが、「平穏な日常」を取り戻すための、確実な一歩です。現状を見据えて、冷静に対処していくことが最善です。。
